韓国と日本の「入浴文化」の違い〜その7〜 2017/1/11

2016丙申年の夏、「ポンペイの壁画展」を見に行ってきました。

高松塚古墳の「模写室」へ入り、壁画の「模写」を鑑賞したことに気付かず、約1300年前に建てられた石室で本物の壁画を見たと思い込んでいたことのある「朴」は、

≪この展示室の壁画、「模写」ではなく2,000年前の本物ですよね? ね?≫

と、案内人に2度も確かめてから約2000年前に埋められたタイムカプセル(time capsule)の世界へ。

古代ローマの「ポンペイ(Pompei)」は、西暦79年ヴェスヴィオ山の大噴火により、町がまるごと地中に埋もれ眠り続けてました。その後、偶然古代の品が掘り起こされたことがきっかけとなり、18世紀以降発掘が開始され現在も行われています。

「ポンペイの壁画展」には、ギリシャ神話の「神々」や「自然」をモチーフとした壁画が中心になっており、これらの壁画を通じて当時の水準の高い「芸術性」&「生活像」の一面を窺う事が出来ました。

≪あれぇ〜、気が抜けちゃうわ〜。「朴」のブログのネタにしたい「入浴」をテーマにした作品はこれっぽっちも見当たらないわよ 〜Y(>_<)Y〜≫

古代ローマ時代の公衆浴場を語らずして世界入浴史を論ずることはできない!! 幸いに、復元された町を収めた多くの「動画」&「静止画」を通じて約2000年間風化されてない当時の公衆浴場そのものを見ることができます。

「リゾート(resort)☆行楽地」として発達してたポンペイの公衆浴場の敷地はめっちゃ広く、建築物は超豪華!! コンクリート製天井、ガラス天窓、タイルの床、大理石製の浴槽など半永久的性質の建築材で造られた大浴場は用途別では、男性・女性用浴場に分かれ、脱衣室、オイル塗布部屋、冷浴室、微温浴室、高温浴室、サウナ室、談話室…(息切れ)…構造別では、運動場、中庭、散歩道、丸い噴水などで構成され、飲食できる場所もあり。

アーチ形天井の漆喰の装飾、床のタイルのモザイク、壁の絵画、浴場の小男石像で仕切られた棚・・・等々。リアルで力強く施された男性彫刻像や非常に高度な技術とセンスが要求される滑らかな曲線、細やかな表現による優美な内部装飾は古代ローマ人のエレガントな美意識が生々しく伝わりますよ〜♪

天井には自然採光が室内を照らすように窓を作り、さらに、上昇した水蒸気が冷たい水滴となり入浴中の人にポタッと落下することを防止するため、天井をアーチ形にし、天井と壁に溝を掘り、水滴が壁をつたい落ちてくるよう工夫されてるわ。

紀元前80年頃に建てられたポンペイで最も古い施設とされるフォロ浴場の高温浴室「アーチ形の天井+溝を掘った壁+天窓」が施されてる。 写真出典:ライフスタイル

尚、脱衣室の棚の仕切りとして彫刻されてる小男が履いてる「パンツ」のデザインがそれぞれ異なり、自分の服の保管棚なのか迷わないように合理的に造られてます(何とユーモアに富んだ斬新なアイデアなことか!! 今の時代の金属製コインロッカーよりウ〜ンと上品で洒落てるわよ〜)。

フォロの浴場の脱衣室の衣服着替え収納棚。自分の収納場所が分かるように仕切りの彫刻像のパンツの模様が全て異なる。 写真出典:イタリア旅行28

話が脇道に逸れがちな「朴」なので「今回の本筋はポンペイの浴場礼賛??」と、勘違いされる前にイタリア半島から朝鮮半島へ「空間移動」。

≪「科学」+「美学」≫の見地から大変優れた建築物と言われるあのメガトン級の素晴らしいポンペイの大浴場が地中に埋もれた頃、中国は「後漢」時代(西暦25〜220年)。「後漢」時代について書かれた中国の史書『三国史』の「東夷伝」には、朝鮮半島北部に位置する「古代国家」における「祭天行事」に関わる当時の風習の記述が見られます。

水で垢を落とす単純な行為は、「東夷伝」が記された段階には既に、「禊祓(みそぎ)」という宗教儀式として昇華し、「祭天行事」に先立って行われており、朝鮮半島に現在する「祭天行事」における「沐浴斎戒」の義務化は、仏教が朝鮮半島に入る遥か前からの遺法が受け継がれてると推定する歴史家もいます。

一方、現存する朝鮮半島最高の史書とされる高麗時代(918−1392年)に編纂された『三国史記』(1143〜1145年)と『三国遺事』(1281〜1283年頃)には、朝鮮半島南部に位置していた古代国家である、「新羅」がまだ「辰韓」と呼ばれてた頃の「家の外」で行われた「沐浴」についての「★朝鮮半島国内の最初の記述★」が見られます。

「『蘿井伝説』の粗筋」

≪紀元前69年、「辰韓」のリーダー格に当たる6人が会議中に「南山」の麓の一角に空からの明かりが照らしてることを不思議に思い様子を見に行った。すると、「蘿井(井戸の名)」の傍に天馬が産んだらしき大きな卵があった。割ってみると何と中には男児が!! その男児を「東泉」で洗ってやったら体は光彩を放った。次に、龍が「閼英井(井戸の名)」に現れ、その龍の脇から女児が生まれた。その女児を「北川」で洗ってやったら鶏のくちばしに似てた唇が正常な唇になった。この二人の子は大切に育てられ、後に「斯蘆国(新羅)」の初代王と王妃になった。≫(「朴」の要約+翻訳)

この説話から当時は、生まれたばかりの赤ちゃんは、「産湯(温水浴)」ではなく「産水(冷水浴)」だったかな?? 水での浄化により、男児は「不思議な力(統治力)」が得られ、女児は「美人」になれたと解釈できることから「井戸・泉・川」=「霊験のある水」と信仰されていたかな?? など憶測をめぐらせ、神話の世界って楽ちんだわ。人の世では整形手術だけどね〜と、心を寄せてみるよ〜ん。

入浴に関する歴史文献の乏しい朝鮮半島ですが、朝鮮半島入浴史を語るにおいて欠かせないのは、中国の「宋」(960〜1279年)の使臣「徐兢」が1123年に「高麗」を見聞した事を纏めた報告書『宣和奉使高麗圖經』。この見聞録を手掛かりに、韓国入浴文化に触れる現在の多くの書き物には、高麗時代は「混浴」だっただの、「性に開放的」だっただのと記されてます。

『宣和奉使高麗圖經』。第23巻「雑俗2−澣濯」

≪舊史。載高麗。其俗皆潔淨。
至今猶然。每笑中國人多垢膩。
故晨起。必先沐浴而後出戶。
夏月日再浴。多在溪流中。
男女無別。悉委衣冠於岸。
而沿流褻露。不以爲怪。≫
(原文)

≪旧史の記録に載ってる。高麗の風習は皆清潔好きだと。
今まで相変わらずその通り。
いつも中国人の垢の多いことを嘲笑する。
故に、(高麗人は)朝起きると必ず先に沐浴をしてから出かける。
夏は毎日2回沐浴する。(それは)谷川の中で行うことが多い。
男女の別は無し。皆衣冠をがけにほったらかして置き、
川に沿って裸になる。(それを高麗人は)可笑しいと思わない。≫
(「朴」の意訳文)

中国の「唐」の楊貴妃が美白・美肌を保つため、ミルク風呂にしょっちゅう入ってたことは、物理的な美を追求してる女性なら大概知ってるとは思いますが、あれほど広大で歴史のながい国なので地域や時代によっては入浴習慣が異なり、中国のおよそ半分に相当する西・北部の乾燥帯地域やチベット高原のようなツンドラ地域において入浴とは、「年中行事」又は一生涯における「通過儀礼」のような行為である地域もあったせいなのか、それとも宋の時代はあまりお風呂に入らないのが常識であったのか、「宋」の「徐兢さん」、「高麗(918−1392年)」の沐浴習慣にカルチャーショック受けてますわ〜。

儒教が生まれた国、中国では「文化大革命」時代(1966〜1976年)には打破すべき旧習とされてた「儒教」ですが、仏教を重んじていた「高麗」に変わって成立した「朝鮮」時代(1392〜1910年)においては、民の統治と教化に当たり強い影響力を持つ優れた思想として受け入れられ、国政運営の中心となる「国教」として採用。政治や文化の担い手となる「양반(ヤンバン)両班☆支配階級+知識人」にとって最も重視されてた宗教です。

「君子(両班)」なる者は、ひげを生やし髪を切らず、ひたすら古典(儒教経典)を読み続け、素足は失礼にあたり真夏でも必ず足袋を履く。「貴女」(上流階級の女性)なる者は、家の奥に隔離され、近い親戚以外の男性とは対面できず、外出時には西洋の「ベール」のように顔を隠す「너울ノウル」や「장옷チャンオッ☆長衣」を着用して外出。(儒教社会の日常生活に関わる定めって、イスラム教徒のそれと似てるわ!!)

風呂桶として使われた朝鮮時代の桶(削り鉢)。古代ポンペイの大理石製の洒落ってる浴槽に比べめちゃ地味〜Y(>_<、)Y〜  写真出典:木工芸紹介

「オールヌード=卑しい」との儒教規範から、朝鮮時代の殆どの建築物には浴場は設けられておらず、部屋や台所、庭の隠密な場所などで桶やタライにお湯や水をそそぎ、それを浴びて体を洗う「行水」や「背中流し」が一般的。宮廷では防水用で漆を塗った大型木製の桶や黄銅(真鍮)製の桶が移動式浴槽として使われてた模様。

すっぽんぽんの状態で身体を洗う「大浄(全身浴)」はめったに行われなかったとは言え、中国人の目に映った如く清潔好きな「韓民族」なので、朝は起きると毎日顔用の小型タライに水を入れ手と顔を洗い、口濯ぎも欠かさず。夜は寝る前に足・尻をごしごし洗う「小浄(部分浴)」がお決まり。当時はウォッシュエアシート(温水洗浄便座)なんかなかったからね〜(((^_^;)

「全身浴」は人生における厳粛たる「通過儀礼」の手段として赤ちゃんの出生時、婚姻前夜、臨終後、祭事の前に行われた他、「年中行事」として陰暦の3月3日、5月5日、6月15日、7月7日、7月15日など遅春から遅夏にかけ、王族や高位官僚は沐衣を着たまま、平民は下着などを着用したまま行われており、女性は上半身浴が普通。

端午の日(陰暦5月5日)、「기생(キセン)妓生☆芸者」と見られる女性達が谷川で上半身浴を行ってる。『端午風情』「申潤福(1758-?)」作

朝鮮時代の歴代王達は治療や心身の疲れを取る目的で自然のギフトと言われる温泉まで御幸し、「全身浴」を行ってたよう。どの王がいつどの温泉へ行ったのかの記録はあるが、その沐浴法についての詳しい記録はなかなか存在しないらしい。だが、第19代王「숙종(スクチョン)肅宗」に関する『肅宗実録』(1661〜1720年)にはこのような記録が残されてる。

「沐浴法についての記録の要約」

≪숙종(粛宗)は、60才で亡くなる数年前から色々な病気を患い、57才には目が悪く目眩がし、足がしびれる症状で苦しみ、4日間温泉を訪れ温泉療法を行った。「午時(11時〜13時)」に王は温泉へ出向き、頭を500杓洗い、へそから下を2刻(30分)間浸かってた。又、「巳時(9時〜11時)」に温泉へ出向き、頭を200杓洗い、足の下を1刻(15分)間浸かってた。≫(「朴」の要約+翻訳)

当時の「入浴法」は、真っ先に手を洗い、次に足を洗った後、背中をもたせて座り、頭を上に向け顔を上げる。シャンプーの際でも顔を上げ頭は下げない。目や鼻の穴にお湯が入らないように手拭いで顔を被せ、耳の穴には白い綿を詰める。

(係の人が)杓で温泉水を汲み、シャワーで頭から流すような感じで、ざぶざぶ王の頭の天辺から温泉水をかける(頭皮にこびりついた汚れを指先でごしごし擦るのではなく、温泉水を杓で汲んでひたすら頭にかけ頭を洗ってたかなぁ〜? ともかく)。休憩してからまた温泉水をひたすら頭にかけ頭を洗う。その後、へその下まで湯に浸かり30分(半身浴だよね?)。湯から出てきて、再び温泉水100杓を頭にかけ頭を洗う。

「沐浴(モクヨク)」の「沐」は水を頭から浴びること、「浴」は水に身体を浸けることを意味する。「儒教」を国教としていた朝鮮時代ですが、「入浴法」は、「仏教」を国教としていた時代の宗教儀式としての「沐浴」と同様で、まるで日本の墓石の上から柄杓で水をかけるごとし。

医者の指導の下で行われるこの沐浴法は、大変エネルギーが消耗されるので「白ご飯+ワカメスープ」がメインとなる食事をしっかり取ってから「沐」を行った後「浴」に移るのだが、タイマーがなかった頃は声を出して数字を数える方法で時間を計り、疲れないように休憩をとる合間にエネルギー補充のため又、「白ご飯+ワカメスープ+α」の食事を取るのが決まりだったとか。

一方、14才で即位した「粛宗」が「天然痘」を患い、粛宗の母親である「명성왕후(ミョンソンワンフ)明聖王后」が占い師(巫女)から占ってもらったところ、≪粛宗の病気の原因は明聖王后に付いてる三災(3種の災厄)が原因なのでその「祈祷法(厄除け祈願術法)」として真冬に「笠」を被り「浴衣」を着たまま「泉の水」を浴るように≫と勧められ、その厄払い実施の結果、明聖王后はインフルエンザ(?)にかかり死亡(ああ、何ということだ)。

≪罪や穢を水に流す思想は「★日本独自★」の文化≫との説を度々耳にしますが、これは≪キリストを信じることによってのみ罪から救われる≫と教えられるキリスト教文化圏(主に欧米先進国)を比較対象としての主張であり、地球レベルまで視野を広げりゃ、いやいや、すぐ隣の朝鮮半島に目を向けさえすれば、朝鮮半島では古くから≪水には穢れを追い払う霊的な力がある≫と信じられ、水による清めの儀式が正式化していたことが分かるだけではなく、罪や穢を水に流す文化はもしかして、朝鮮半島を通じて日本列島に伝わった地球レベル的な思想であると見解が変わるかも知れない。

朝鮮時代の「장헌세자(チャンホンセジャ)荘献世子」は、父親である「英祖(第21代王)」に米櫃に閉じ込められて死んだことから「사도세자(サドセジャ)思悼世子」とも言われてる「英祖」の次男。韓ドラ『이산(イサン)李祘』(第22代王「正祖」)の父親でもあり、思悼世子の悲劇を扱った『大王の道』の主人公でもある「荘献世子」が皮膚病の治療のため1760年に16日間、「온양(オンヤン)温陽」にある「温泉」を訪れたことについての記録『温宮事實』『温泉日記』『靈槐臺記』から当時の温泉の「構造」や「沐浴用品」「沐浴法」「温陽別宮全図」などを覗き見ることができる。

国王達が治療目的で滞在してた「温陽幸宮」(現在の忠清南道牙山市に位置する臨時滞在用の宮)は、朝鮮時代に国内では最高の治療効果があるとされる温泉地に設けられた。「温陽幸宮」の総面積は6,000坪。東西南北の四か所に大門(出入口)があり、その中に王が国政に勤められるように30軒余りの建物を配置し、温宮のやや中央右下に「温泉館」がある。

その温泉館の内部構造は12間で用途別では「浴室」「涼房」「狭室」「湯室(温泉水+浴槽)」などに分かれ、「湯室」を中心にして北と南の方向へ狭い通路があり、その北側と南側には風当たりの良い部屋が一室ずつ設けられてあった。

広さが3万坪以上もあり、総合レジャー施設を完備してたと言われてる3世紀に造営された古代ローマのメガトン級の「カラカラ浴場」に比べりゃ「クジラとイワシ」!!

朝鮮時代、国内では最高の治療効果があるとされる温泉地「温陽」に建てられた王室用別宮「温陽幸宮」の全図。円内の建物が「沐浴場(温泉)」 写真出典:TISTORY

話を再び朝鮮半島からイタリア半島へ戻し、

開放的で自由な人間の性生活を反映してる極めて人間くさい「ギリシャ・ローマ神話」の神々(多神教)を信仰してた古代ローマ人においては、性衝動による性行為は人間本能の自然現象であると受け止められ、男女共に裸になり日常入浴するのは道徳的に何の問題にもならず、入浴の目的は「身体の汚れを落とすこと+色を楽しむこと」と考え「入浴=美徳」と認識してたらしい。

よって、「テルマエ(Thermae)公衆浴場)」の雄大な規模や豪華な施設は国家経済の繁栄と皇帝の優秀さを測る尺度の一つとなり、ローマの皇帝達は自分の能力と雅量を誇示するため大浴場を造営。

最も国力が強かった時代には、同時に2,000人も入れるスケールの大浴場を含む「テルマエ」は数え切れないほど(いやいや、暇だったのか数えた人がいて850前後)あったとか?! 

旧約聖書の『創世記』には「アダム&イブ」が「楽園(エデン園)」で全裸の姿で無邪気に歩き回る様子が描かれてますが、この2人が蛇に騙され「禁断の実」を食べてエデン園から追放されて以来、キリスト教では人間が「裸」になることは恥じる事であり、「入浴」は肉体的な快楽を求める異端行為とされてました。

初期のキリスト教の入浴観では≪清潔な体と清潔な衣服は不潔な魂の表れであり、汚さはキリスト教徒の魂の清らかさを示す明らかな印≫と捉えてました。分かり易く言えば、頻繁に体を洗い、厚化粧に派手な服、絢爛豪華なアクセサリーを好む外貌重視の人からは精神的に乏しく卑しいイメージを受けやすい感覚かな?!

宗教とは普通、自分に厳しく欲望に流されず幸福を得る「ストイック(stoic)☆禁欲的」な生活を勧めます。従って、キリスト教を国教とした(西暦380年)ローマはそれ以来、ギリシャ・ローマの古代神話の人間的な神々の概念及び現世的で人間中心の享楽的な価値観が否定され、快楽主義とは対立上にある「唯一神」を中心とする来世重視の「禁欲主義」生活態度が徐々にローマ人の生活に広まり大勢を占めるようになります。

「SEX」に対して極めて禁欲的であるキリスト教とは異なり、儒教の方では≪「陰(女)」&「陽(男)」の調和≫は宇宙の原理であり、家族共同体の為の家を継ぐ子孫の出産に繋がる「孝行為」と考えられてます。

よって、自然現象に逆らうことは不自然であり、「妾」を認める「非禁欲主義」の世界かな〜?? と思うとやはり、「修身」「克己」「守節」など禁欲的用語が重視される宗教です。そんな訳で朝鮮時代には「清潔&衛生」は二の次で「道徳&貞淑」が優先され、肌の露出を禁じ、裸になる風呂は不道徳的行為と看做する風潮であったことは言うまでもないような気がします。でもね、『温宮事實』には、

≪「英祖王(21代王)」は、王家の者が「温泉浴」に出向くことは警備・護衛の任務に当たる軍人(武士)や温泉滞在に必要な品を供出して貰う現地の百姓に迷惑になることを考慮し、「★沐浴禁止令★」を出し、「王子(荘献世子)」にも温泉浴を禁じていた。それにも拘わらず、医者達から王子の皮膚病「疥癬(かいせん)」には「温泉療法」が効果があると勧められたことに対し、「王の息子だといって沐浴を許可することは民からの信頼が得られない」と激怒する。しかし、王子の病気が悪化したことを知り止むを得ず、温泉治療療法を実施することを承諾することに至った。≫

との記録があり「朴」は、「入浴=悪徳」とされてた朝鮮時代の入浴観は「省エネ(資源やエネルギーの節約)」対策の目的を果たすにピッタリ、こじんまりとした規模に地味な施設の浴場の造営は、民に与える経済的な負担を気遣った王の雅量であり、善政を行う優れた統治者であることの証し。

要するに、≪「入浴文化の衰退期」=「名君在任期」≫との公式が成立するような気がしてならない(朝鮮半島とイタリア半島の「聖君&名君」を評価する物差し、全く違うね!!)。

朝鮮時代の第22代王「正祖&王家の人物」が御幸する際の光景。 『華城陵行図屏』の第7扇の「還御行列図」(1796年完成作と推定) 写真出典:国立中央博物館幅

(続 く)

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名古屋市の官公庁などの翻訳・通訳人として活躍後、大学や名古屋市内の生涯学習センターなどで「コリア文化」に関する講座を担当。

現在は愛知大学、中京大学、中日文化センター、愛知大学オープンカレッジなどで韓国語講師をつとめる。

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