鈴木清順監督について 2017/3/7

名古屋シネマテークでのトークを採録したブックレット「シネアストは語る 1 鈴木清順」。名古屋シネマテークほかにて発売中

とうとうこの日が来てしまった…。

「鈴木清順監督 死去」の報に接したとき、思わずそう呟いた。『オペレッタ狸御殿』(2005年)から12年。もう新作は見られないだろうと思ってはいた。しかし、いざ訃報を目にすると、大きな喪失感はぬぐえない。

鈴木清順の映画なかりせば、私はここまで「映画」に深入りすることはなかったろう。独立したショットを編集して構成する「映画」という表現にあって、彼ほど各ショットを際立たせ、なおかつそれをアクロバティックに繋ぎ、断絶と連続の内に美学と主張を展開した人はいない。清順映画にやられて「映画」から抜けられなくなった者の一人として、今回は氏の思い出を少々書きたいと思う。

 清順監督にお会いしたのは、1987年5月に名古屋シネマテークでトークをして頂いたときが最初だ。正直言ってその時の記憶は、あまり鮮明ではない。とにかく緊張していたということもあるが、「鈴木清順が、シネマテークに来ている…」というだけで興奮し、のぼせていたのだろう。覚えているのは、監督がメモ書きと思われる大量の紙の綴りをテーブルに置き、それを見ながら話をしていたことだ。トークの準備をしてきてくれたのか!と嬉しかった。

とはいえ、用意した話を理路整然と…などということはもちろんない。俳優たちのエピソードや、撮影時の裏話などを臨機応変に織り交ぜながら、客席を沸かせ、楽しませ、唸らせていた。過激にして愛嬌あり。律儀にして飛躍あり。これが鈴木清順かと、その人柄にも惹かれることとなった。

映画はほろびの美学という鈴木清順監督=調布市国領のロケーションで

その後も、名古屋に仕事があったからと、ふらりと寄って下さったり、ささやかながらもご縁が続いたが、次に印象深い出来事は、『夢二』(91年)公開時の監督取材だ。

監督の旧作はそれまでも上映していたが、最新作を公開するのは我々も初めてのことになる。しかも『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』という傑作に続く「大正三部作」の完結編だ。ここはぜひ監督に名古屋入りしてもらって、新聞各紙の取材を受け、盛り上げたいと思った。

だがちょうどその頃、氏は俳優として引っ張りだこの大忙し状態。本人と電話で話すのも難しい状況だった。ようやくつかまえて頼んでみたところ、「今は、とても忙しい」。そして「『夢二』のことは大方忘れました」といかにも清順的な理由(笑)で断られてしまった。

清順監督は、とにかく自作の説明を嫌う。たしかに、謎はすぐに解けてしまったらつまらない。清順映画の謎は、見終ってからも見る者に取り憑く、乱反射する宝石のような謎だ。それもまた、氏の映画の魅力のひとつなのだが。

…というわけで監督に断られ意気消沈していた我々だったが、数日後、一枚の葉書が届く。「何月何日、役者として出演するドラマのロケ、名古屋であり。その日でよければ、取材、可能」。うわ!ここに来て、律儀な清順が登場?いや、やはり鈴木清順であっても自分の映画を少しでも多くの人に見てほしいと思ってのことだろう。

それは、映画は客が入ってこそ!という昔気質の精神でもあると思う。自身の表現と興行というビジネスとの危うい境を渡ってきた氏の人生を、ふと想起させる一件だった。その後、インタビューが和やかな雰囲気のもと行われ、『夢二』もヒットを記録したのは言うまでもない。

こう書いていると、いろいろなことを思い出してキリがない。最後にひとつだけ。2003年、岐阜県が独創的なアーティストに贈る織部賞(茶人・古田織部にちなんだ賞)のグランプリを氏が受賞した。その授賞式での言が忘れがたい。

「今、名前が呼ばれるまで(他の受賞者で先にステージに上がった)森村泰昌さんを刺したらどんな血が吹き出るんだろう、加藤孝造さんの焼物をぶち壊したら、どんなふうに砕け散るんだろう、そんなことばかり想像していました。映画とは、破壊です。この社会に毒を流すものです」。栄えある授賞式で、こんな話をする人は、鈴木清順以外にいない。
 
訃報を知った日、古くからの友人からメールをもらった。

「世知辛い今の世の中はさぞつまらんかったでしょう。今頃、(松田)優作さんや(原田)芳雄さんに出迎えられているのかな」。そうだね。どうやら、あちらの世界の方が面白い映画が見られそうだ。『ツィゴイネルワイゼン』のように、誰かに彼岸と此岸と往き来してもらって、その映画を見なければ。

PR情報

記事一覧

「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきましたB

2回に渡り山形国際ドキュメンタリー映画祭の話をしてきたが、 「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきました。 「山形国際ドキュメンタリー映画祭」…

2018/1/13

「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきましたA

「山形国際ドキュメンタリー映画祭2017」の話を続けたい。 (前回記事:「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきました。) 急に思い立った一泊二日…

2017/11/29

「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきました。

先週の木曜日(10/5)、東京で仕事があった。いつもの出張のつもりで準備をしていて気がついた。そうだ、たしかこの日から「山形国際ドキュメンタリー映画祭」…

2017/10/17

「東海テレビ ドキュメンタリーの世界」

気がつけば8月も終る。2017年もあと4ヶ月。早い…。仕事の常として、今は10月の上映作品を固めつつ、お正月あたりまでをゆるく編成している。お正月映画…

2017/8/25

堀禎一監督のこと

かつて2000年から04年にかけて、「新ピンク零年」というピンク映画の特集シリーズを上映したことがある。 名古屋の大手興行会社に勤務しているピンク映…

2017/7/26

名古屋シネマテーク 35年前の旅立ちA

前回記事名古屋シネマテーク 35年前の旅立ち@ (承前)前回は、名古屋シネマテーク設立に至る当時の状況について書いた。だが、映画館は「作りたい!」と思…

2017/6/24

名古屋シネマテーク 35年前の旅立ち@

1982年6月にオープンした名古屋シネマテークは、この6月で35周年を迎える。35年…なかなかな年数だ。たとえばオープンした1982年から35年をマイ…

2017/5/25

書評「映画という《物体X》」

今回は少々趣向を変えて、映画の本の話を。 昨年秋に刊行された「映画という《物体X》 フィルム・アーカイブの眼で見た映画」を読んだ。著者は、岡田秀則氏。…

2017/4/16

鈴木清順監督について

とうとうこの日が来てしまった…。 「鈴木清順監督 死去」の報に接したとき、思わずそう呟いた。『オペレッタ狸御殿』(2005年)から12年。もう新作は見…

2017/3/7

「イスラーム映画祭 2」(後編)

――後編では、本映画祭ディレクターの藤本高之さんに、上映作品の見どころを教えて頂こうと思います。 まずは『神に誓って』。この映画は東京では第一回に上映…

2017/1/13

プロフィール

19

名古屋シネマテーク 支配人

1961年、名古屋市生まれ 。南山大学卒。在学時から、自主上映団体「ナゴヤシネアスト」のスタッフに参加。

卒業後は、同会が1982年に設立したミニ・シアター「名古屋シネマテーク」の専従スタッフとなり、1987年より支配人。

1993年〜2002年、愛知芸術文化センターオリジナル映像制作作家選定委員。

  • 会員登録
  • ログイン
明日の天気(17:00発表)
名古屋
曇りのち一時雨
22 ℃/15 ℃
東京
曇り
21 ℃/15 ℃
大阪
晴れ時々曇り
24 ℃/16 ℃
  • 現在、渋滞情報はありません。
  • 登録路線が未設定です。
  • 公式 Twitter はこちら
  • 公式 Facebook はこちら
クラウドファンディング 夢チューブ 中日新聞
東京新聞 電子版
中日販売サポート
東海テレビ 庄野アナと 新聞を音読してみよう!
中日防災ナビ
こどもウイークリーのこーなー
過去の企画・特集