【新説】桶狭間の戦いは信長と家康の共同作戦だった!? 2017/5/6

先日、BS-TBS「高島礼子の日本の古都」という番組で、桶狭間の戦いが特集され、歴史作家の伊藤潤氏が、桶狭間のキーマンは家康ではないかということを話しました。あの戦いで最も得をしたのは、三河の本領を回復し、その後どんどん大きくなっていった家康だったのではないかとの趣旨です。この説は昔から私も考えているもので、とうとう表に出始めたなと思いました。

そこで今回は、私の考える桶狭間合戦のあらすじを書いておきたいと思います。おそらくまだ誰もここまでは言っていないと思いますので、早い者勝ちで書いておきたいと思います。

水野信元の緒川城址

@桶狭間の前に信長は尾張を統一しており、次は上洛して尾張以西の西国大名による将軍権威復興を志向していた(それが天下布武)。しかし、東国ではまずいちばん京に近い今川が、関東公方らの意を受けて、上洛の前段階としての尾張侵攻を志向していた。

Aこの状況の中で、今川の有力武将の一人となっていた徳川家康(当時は松平元康)は、本領の三河を回復し、さらに現状を知った関東への侵攻を密かに志向して、西を目指す信長と利益が一致した。家康は教育を受けた太原雪斎によって、関東の覇者となる考え方を教えられ、またその雪斎の死によって、今川との絆が希薄になり、独立志向を強めていたのだった。

B桶狭間の前に、駿河勢の尾張攻めの先方となって三河にいた家康は、母於大の兄であり、尾張からも三河からも独立した国人領主であった知多諮の水野信元を通じて、密かに信長に接触。尾張以西を信長が、三河以東を家康が侵攻していく密約を結び、義元の動きを待った。

Cそして桶狭間の時がやってくる。義元を抹殺すべく、家康と示し合わせた信長は、今川方となっていた鳴海と大高の城を、丹下、善照寺、中島、鷲津、丸根、正光寺、氷上山の7つの砦で完全包囲し、義元の救援出陣を誘った。

D1560年、信長に寝返ったことを義元に悟られていない家康を先鋒として、駿河勢が尾張へ侵攻開始。家康は信元と示し合わせて、織田側であった信元の謀反を演出し、信元ら知多勢を正光寺砦と氷上山砦から撤退させて、大高への兵糧入れを成功させ、さらに義元を合戦前日に大高城にまで引き入れた。

E合戦当日の朝から予め示し合わせてあったとおり、鷲津・丸根砦は家康らの攻撃で簡単に撤退し、大高城へ戻った家康は、鎌倉街道方面へ移動しようとする義元の動きを信長へ逐次伝え、それによって信長親衛隊2,000は義元本陣を急襲することができ、勝利を収めた。

F義元亡き後は、信長との約束通り、家康は三河を取り戻して今川と決裂。その後はよく知られたとおりの尾三同盟が続くこととなる。水野信元の裏切り芝居が原因で、義元が術中にはまったことを知った鳴海城番の武将岡部元信は、撤退時に水野の刈谷城を襲った。

Gこれらの陰謀はやがて信長が天下を取る過程で無きものとされる。事情を知る信長の家老たち、そして水野信元らは信長によって追放あるいは殺され、最終的には家康にも危機が迫ったため、家康は本能寺の変を起こして信長を殺した。

Hこうした裏事情は家康存命時にはある程度知られていたが、当然ながら太田牛一も信長公記に書くことはできず、桶狭間合戦は信長公記首巻の大きな謎となった。さらに徳川時代が進むに連れ、神君の秘部として歴史から抹殺され、現在に至った。

丸根砦跡

この話の史料的な裏付けは難しいですが、状況を考えていくと、こういうストーリーとなってしまうのではないでしょうか。また当時の史料があまりにも残っていない(消された?)ということも、この話を裏付けるようにも思います。私としては、今後は少しずつ裏付けをとり、より確実な話としていきたいと思っています。

このあたりの事を鳴海中日文化センターで話していますので、興味ある方はご参加ください。

PR情報

記事一覧

末森城は安土城の原型ではないか、そんなことを思いながら現地ガイドしました

私は鳴海中日文化センターで「若き信長の軌跡」という講座をやっていますが、テーマを信長の若い頃、つまり父親信秀の活躍した時代にして、お話をし、その現地…

2018/9/19

秀吉功路!「人生大出世夢街道」の現地見どころをご紹介(先回の続き)

前回記事はこちら 『今度は秀吉功路!名古屋市が中村区で「人生大出世夢街道」事業をスタート』 人生大逆転の信長に続いて、人生大出世の秀吉で武将観光を進め…

2018/8/25

今度は秀吉功路! 名古屋市が中村区で「人生大出世夢街道」事業をスタート

名古屋市が進める武将観光ですが、信長攻路の整備が一段落して、次は27年のリニア中央新幹線開業で注目される駅西、中村区を新たに武将で開発しようという話に…

2018/8/21

信長が攻めた金山城、その麓に可児市戦国山城ミュージアムがオープン

今回は津島の話を一回お休みして、新しくオープンした可児市戦国山城ミュージアムと可児市観光交流館のお話です。 可児市といっても戦国山城ミュージアムがあ…

2018/8/4

信秀・信長の痕跡を追って津島をめぐるルート その2

信秀・信長が持っていた巨大経済力の源泉である貿易川湊・津島。信長時代の痕跡を求めて2018年6月に鳴海中日文化センターの講座として行ったツアーのご紹介、そ…

2018/7/19

信秀・信長の痕跡を追って津島をめぐるルート その1

6月のはじめに、鳴海中日文化センターの私の講座の皆さんと、信長時代の津島の痕跡を求めて現地ツアーをしてきました。津島市も様々な市内観光コースを提案して…

2018/6/26

信長の祖父、信貞が攻めた貿易湊、津島の姿

若き信長は新興中小企業の三代目ともいうべき身分でした。信長の弾正忠家創業者ともいえそうな信長の祖父、信貞は経済力を獲得すべく1524年(大永4年)ごろまで…

2018/5/29

画期的な内容の「愛知県史 通史編 中世2・織豊」ほか、地元歴史本が続々刊行中

3月30日付けで「愛知県史通史編3中世2・織豊」が愛知県から発行されました。少し協力させていただきましたので、さっそく目を通すことができました。 通史…

2018/5/3

信長の家、弾正忠家の家系に関して、新しい解釈が登場

織田信長はいわゆる三英傑の中では比較的ちゃんとした血筋の人です。素性のまったくわからない秀吉、先祖が何者かわからない「松平」家康と比べると、信長の場…

2018/4/17

大須萬松寺に信長の父、信秀の墓が新しく作られました

名古屋市の繁華街大須にある亀嶽林萬松寺(名古屋市中区大須3−29−12)。この寺は織田信長の父信秀が自らの菩提寺として、那古野今川家から奪い取った那古野城…

2018/3/15

プロフィール

15

達人に質問をする

自動車&歴史ライター

1956年 名古屋市守山区(当時は守山市)生まれ。バンド活動から自動車雑誌、タウン雑誌などの編集を経て、出版編集・web制作を生業とする株式会社デイズを創業。

代表を務めつつ、自動車ライターとして、中日スポーツなどで試乗記を10数年間、毎週執筆。現在は「モーターデイズ」というwebサイトを中心に活動中。

今年5月には、長年の取材をまとめた「信長公記で追う桶狭間への道」を出版。織田信長誕生から桶狭間の合戦までの26年の人生、その年齢ごとのゆかりの地をクルマでたどる歴史観光ガイドムック(雑誌タイプの本)で、歴史ライターとしても活動を始めた。

  • 会員登録
  • ログイン
今日の天気(05:00発表)
名古屋
曇り時々晴れ
29 ℃/--
東京
曇り時々晴れ
26 ℃/--
大阪
晴れ後曇り
29 ℃/--
  • 東名, 名神, 東名阪道, 名古屋高速で渋滞情報あり。
  • 登録路線が未設定です。
  • 公式 Twitter はこちら
  • 公式 Facebook はこちら
クラウドファンディング 夢チューブ 中日新聞
東京新聞 電子版
中日販売サポート
東海テレビ 庄野アナと 新聞を音読してみよう!
中日防災ナビ
こどもウイークリーのこーなー
過去の企画・特集