第二回 柏鵬時代到来〜幻の北玉時代 2017/5/19

大鵬 土俵入り

土俵の鬼・若乃花からバトンを受けた大鵬、柏戸が昭和36年の九州場所でそろって横綱に推挙されると、ここから「柏鵬時代」として大きな一時代を築き、名古屋でもこの両雄が金山体育館を大いに沸かせることとなります。

大鵬は、初めて中京のファンに横綱としての勇姿を見せた昭和37年の名古屋場所で盤石の相撲を見せ、千秋楽結びの一番でライバル・柏戸をすくい投げで破り優勝を決めると、いよいよ第一人者への道を歩みはじめました。

この頃大鵬は佐田の山、栃ノ海、豊山ら、のちの横綱・大関となる強力な挑戦者をことごとく退けており、この昭和37年名古屋場所から38年の夏場所まで6連覇を達成。一気に人気も加速し、有名な「巨人・大鵬・卵焼き」というキャッチフレーズまで生まれました。

いっぽう柏戸は綱を張りながらもケガや故障で思うような相撲が取れず、大鵬の6連覇の影で後塵を拝する日々が続きました。しかし、4場所休場が続き柏鵬時代が霞みかねない状況に追い込まれた昭和38年の秋場所で、横綱の意地を見せ復活を遂げるのです。

千秋楽、柏戸と大鵬は14勝同士でぶつかりました。この全勝同士の大一番、柏戸は渾身の寄りで大鵬を下し、忘れかけていた2度目の優勝を16場所ぶりにつかんだのです。

昭和38年秋場所千秋楽、柏戸が大鵬を寄り切りで下し全勝優勝=蔵前国技館で

その頃は「柏鵬時代とは名ばかりで、大鵬時代だ」とまで騒がれていましたし、大方の予想も大鵬有利でした。しかし、病み上がりの柏戸に賜杯をさらわれてしまったのです。私は、この時の大鵬の言葉をたいへん印象深く覚えています。

彼は“慢心していた。もう自分の天下だと自惚れていたことが恥ずかしい”と語ったのです。このとき柏戸のおかげで反省し自戒したことが、その後のさらなる飛躍に繋がったと言いました。大鵬は常に柏戸に敬意を払い、晩年も“柏戸さんのおかげで、横綱としての責任を果たすことができた”と折に触れて話していたことが忘れられません。

さて、名古屋場所に話を戻しましょう。
昭和40年から、名古屋場所は完成したばかりの愛知県体育館に会場を移しました。前回もお話ししましたように愛知県体育館は冷暖房完備ですから、金山体育館時代にお世話になった氷柱や酸素ボンベとはお別れし、力士もお客さんも快適に過ごせるようになりました。そしてこの年は栃ノ海と佐田の山が大鵬・柏戸の厚い壁を破って横綱に昇進し、4横綱がそろって新しい会場で大いに土俵を沸かせることになります。

新装成った愛知県体育館での優勝第一号は、大鵬でした。千秋楽結びの一番、この時点で12勝同士だった横綱佐田の山との激しいつっぱり合いを制し、押し倒した大鵬が通算17回目の優勝を飾ったのです。そしてこのつっぱり合いに見られるように、新横綱佐田の山が激しい闘志を前面に押し出して、柏鵬時代の壁をしばしば脅かしたことが今でも心に残っています。

昭和40年名古屋場所千秋楽 大鵬が佐田の山を押し倒しで破り通算17回目の優勝を決める=愛知県体育館

当時大鵬と人気を二分した柏戸でしたが、先に述べたようにケガや故障が多く休場がちでもありました。そんなこともあり、年一回の名古屋ではなかなか優勝できませんでしたが、昭和42年、14勝1敗で5度目の優勝を果たしたのが名古屋場所でした。そしてこれが、柏戸の生涯最後の優勝でもあったのです。

その後もケガに悩まされた柏戸は、昭和44年の名古屋場所で三日間土俵に上がったのち引退してしまいました。大鵬はその2年後、昭和46年5月場所で引退となり、8年間続いた「柏鵬時代」も終わりを迎えます。そして、これに前後して新たなヒーローが登場することになります。

大相撲 太刀持ち北の富士(左)、露払い玉の海の新横綱をしたがえて横綱最後の土俵入りをつとめる柏戸、行司は式守伊之助

新たな主役のバトンを受け取ったのは、北海道出身の北の富士と、ご当所・蒲郡市出身の玉の海でした。大鵬引退の前年にあたる昭和45年初場所で、北の富士と玉乃島(当時)は13勝同士で優勝を争い、北の富士が賜杯を手にすると、場所後にそろって横綱に推挙されました。※玉乃島は横綱昇進で玉の海と改名

横綱先陣あらそいで健闘を誓い合う北の富士(左)と玉乃島(後名・玉の海)=蔵前国技館で

2人は「大鵬の後継者」とされ、大いに注目を集めました。特に玉の海は翌昭和46年初場所、大鵬との優勝決定戦で破れ惜しくも賜杯を逃しましたが、この大鵬の優勝が大鵬自身32回目の、生涯最後の優勝だったというドラマもありました。そして7月の名古屋場所では、玉の海初の全勝優勝を飾り、ご当所の愛知県はもちろん、日本中から角界の新たな担い手として期待されました。

ところが同年の秋巡業中のこと。盲腸で入院していた玉の海が、手術を終えた後、血栓症で急逝したのです。まだ27歳の若さでした。いよいよこれから、というところだった「北玉時代」が、幻の言葉となってしまったのは、なんとも残念なことでした。東海道新幹線で蒲郡市を通過する時、線路からすぐ北側の高台に天桂院という寺院が見えます。ここには玉の海が眠る墓があり、今でもここを通るたび、手を合わせる思いです。

北の富士は、玉の海とはライバル横綱として優勝を争っていましたが、土俵を離れればお互いを愛称で呼びあうほど仲の良い2人でした。それだけに、玉の海急逝の知らせを深く悲しんだことは言うまでもありません。直後の秋巡業では、本来雲龍型であった自身の型ではなく、亡き玉の海の不知火型で北の富士が土俵入りを行うという一幕があり、その姿がファンの共感と涙を呼んだものです。

玉乃島(後名・玉の海)と北の富士の激しい申し合いを真剣な表情で見つめる琴桜(右)

ライバルを失った北の富士は、1人横綱としての責任を果たすべく奮闘しましたが、その胸中は察して余りあるものがありました。この後、琴桜が横綱に昇進しましたが長く務めることができず、時代は再び新たなヒーローの登場を待つこととなります。

そこへ現れたのが、輪島であり、北の湖であり、貴ノ花でした。この3力士の活躍は、次回ご紹介することにいたしましょう。


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プロフィール

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日本福祉大客員教授、元NHKアナウンサー・相撲ジャーナリスト

1930年、北九州市生まれ。早大卒業後、53年NHK入局。初任地は名古屋局で、自身初の大相撲実況は54年2月に金山体育館で行われた大相撲名古屋場所(当時は準本場所)。

NHK在職中は名古屋、福岡、大阪、東京と大相撲の本場所開催地の放送局に在籍。81年、大関貴ノ花引退の放送で思わず絶句。“泣きの杉山、泣かせの杉山”と異名をとる。相撲以外でも東京、メキシコ五輪をはじめプロ野球など各種のスポーツ実況を担当。

現在は日本福祉大生涯学習センター名誉センター長、客員教授。名古屋・栄の中日文化センター講座「大相撲の魅力を語る」で講師を務める。深い知識と豊富な経験を基に、講座で興味津々の話題を紹介してくれる。

著書に「大相撲この名勝負」「土俵の鬼三代」「兄弟横綱−若貴の心・技・体」「土俵のチンギス・ハーン 白鵬」「土俵の真実」など。最新刊は「土俵一途に 心に残る名力士たち」(中日新聞社発行)。

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