名古屋シネマテーク 35年前の旅立ち@ 2017/5/25

1982年6月にオープンした名古屋シネマテークは、この6月で35周年を迎える。35年…なかなかな年数だ。たとえばオープンした1982年から35年をマイナスすると1947年。第二次大戦後すぐ、まだ日本全土が占領下にあった年だ。そう考えると年月の長さと重みを痛感する。これを機にオープン当時の状況と、記憶に残る出来事を書きとめておくことにしよう。

昭和57年6月25日中日新聞掲載 シネマテークオープン当時の記事

名古屋シネマテークは、もともとナゴヤシネアストという自主上映グループから発展した。同グループは1970年代初頭から上映活動を続けていたが、70年代後半には、今も当劇場代表を務める倉本徹がほぼ全ての実務を担い、かなりの頻度で上映会を開いていた。

上映作品は、内外のクラシックな名作から、当時ほとんど見る機会のなかったドイツやポーランド映画の新作、土本典昭や小川紳介らによる日本のドキュメンタリー映画など。会場は、名古屋駅前のホール、熱田神宮近くの映画館、小劇場演劇のメッカだった大須の七ツ寺共同スタジオなどを借りていた。

利益があがりそうな映画はふつうに興行館で上映されるわけだから、シネアストが上映するような映画は基本的に赤字。倉本は、当初は古紙回収業(出身大学内を車で回り、顔見知りの教授から強引に…いや丁重に回収したこともあったという)、後には塾経営をして、そこでの収入を投入し、なんとか上映を続けていたようだ。

しかし、上映会が増えるほどに、会場への映写機など機材の搬入・搬出の手間も増える。また公共のホールは使用時間などのルールが厳しい。ゲストでお呼びした監督のトークが盛り上がってきたところでやむなく終了…ということも多かった。

今池の雑居ビル2階にオープンした映画館「名古屋シネマテーク」=昭和57年、名古屋市千種区で

さらに、80年代に入って、映画状況の変化もあった。大きな興行ルートに乗らない内外の作品は、ATG(日本アート・シアター・ギルド)や岩波ホールによってある程度は公開されていたが、それでも世界の映画状況から見れば公開本数は微々たるもの。そこで、自国文化の紹介に熱心だったハンガリー、スイスなどの大使館、ドイツの国際文化交流機関ゲーテ・インスティトゥートなどが、自国の映画の非営利な上映に力を入れ始めていた。特にドイツは、ヴィム・ヴェンダース、ヴェルナー・ヘルツォークなど今も活躍する映画監督がちょうど世に出てきた頃に当たる。

こうした各国の映画紹介事業が後のミニシアターブームの基礎となっていくわけだが、当時はそんな未来を想像していたわけではない。とはいえ、ナゴヤシネアストでもこうした大使館・文化機関経由の作品の上映が、確実に増えていた。

そうした状況や事情が要因となって、倉本は自分たちが自由に使え、いつでも映画を上映できる場所の確保を真剣に考えるに至った。

その頃の私の話も少ししておこう。私は、77年、高校1年の頃からシネアストの上映会に行くようになっていた。最初に見たのは、R・ブレッソン監督の『少女ムシェット』とI・ベルイマン監督の『野いちご』の2本立。キネマ旬報のベスト1作品だった『野いちご』を見たくて行ったのだが、次々と不幸に見舞われる少女を冷徹なまでに描いた『ムシェット』に仰天した。楽しさ、カタルシスは皆無。あるのは、異様に醒めた作り手の眼差しにあぶり出される少女の苦難のみ。今思えば、これは、もしかしたら人類の苦しみを一身に背負った人の受難劇だったのかもしれない。

しかし当時の私はそんな思考回路もなく、ただこう呟いた。「こんな映画もあるのか…!」。この呟きが私にとっての始まりだったと言っていい。その時からは、ちょうど40年。今もって、私が映画を見て探しているのはこうした驚きなのだから。そして観客に感じてほしいものも、また、それなのだ。

気がつけばシネアストの上映会の常連となった私は、80年、スタッフ応募の告知を見て、活動に参加する。その2年後、名古屋シネマテークは開館するが、オープンに至る日々については、また次回としよう。(続く)

オープン当時21歳の平野勇治さんのコメント(編集部)
昭和57年6月25日 中日新聞朝刊市民版記事
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プロフィール

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名古屋シネマテーク 支配人

1961年、名古屋市生まれ 。南山大学卒。在学時から、自主上映団体「ナゴヤシネアスト」のスタッフに参加。

卒業後は、同会が1982年に設立したミニ・シアター「名古屋シネマテーク」の専従スタッフとなり、1987年より支配人。

1993年〜2002年、愛知芸術文化センターオリジナル映像制作作家選定委員。

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