第三回 五月場所総括と輪湖時代 2017/6/9

白鵬(右)が寄り切りで照ノ富士を下し、38回目の優勝を決める=平成29年5月場所14日目、両国国技館

まずは、5月28日に千秋楽を終えたばかりの、5月場所についてお話しましょう。新横綱稀勢の里が関東のファンの前に初めて姿を見せたことで、初日から両国国技館は連日満員札止めの、大盛り上がりの場所となりました。ただ、3月場所での逆転優勝の際に痛めた左上腕部付近のケガが完治しないままで出場したことが影響し、11日目から休場してしまいました。横綱としての姿を後半のお客さんに見せられなかったことは、誠に残念です。

白鵬が全勝で38回目の優勝を飾り、自身の持つ最多優勝記録を更新したのですが、改めて「白鵬ここにあり」と、存在感を強くしました。私は場所前から「優勝は白鵬」と断言していたのですが、このままだと大台の40回目の優勝や、魁皇の持つ1047勝の最多勝利記録を超えることは間違いなく、年内に、さらに前人未到の領域へ足を踏み入れることも大いにあり得ると思っています。

もう一つの話題として、高安の大関取りが注目されました。身体を活かした積極的な立会で、豪快にかち上げて相手を弾き飛ばす取り口が光り、2度目の挑戦で見事大関取りを果たしたことは、称賛に値します。同部屋(田子ノ浦部屋)で横綱、大関が相次いで誕生するという異例の快挙に、ますます相撲人気が高まり、来る名古屋場所が今からワクワクする思いで待たれます。

この他5月場所で印象に残った出来事として、正代、御嶽海、宇良、貴景勝、阿武咲ら20代前半の活躍が挙げられます。宇良や阿武咲、貴景勝は決して恵まれた体格ではありませんが、小兵の3人が2桁の勝ち星を上げたことは、大いに賞賛したいと思います。名古屋では彼らが上位と対戦しますから、ますます土俵から目が離せなくなるのは間違いないでしょう。

最後に、玉鷲が関脇で2ケタ勝利を上げ、高安に続く大関候補に名乗りを上げたことも付け加えておかねばなりません。これらの力士が名古屋でどんな熱戦を見せてくれるか、楽しみに注目していきたいと思います。

さて、前回の続きをお話しましょう。

北の富士と玉の海による「北玉時代」が幻となってどうなることかと心配されましたが、貴ノ花、輪島、北の湖の急成長で、再び土俵が大きく注目されることになりました。大鵬引退の翌年、昭和47年秋場所後に貴ノ花と輪島がそろって大関に昇進し、北の湖がすぐ後を追うように幕内上位から三役へ進出して、この3力士を巡って目の離せない場所が続きました。

雲竜型で横綱土俵入りを奉納する新横綱輪島=名古屋市熱田区の熱田神宮で(昭和48年)

輪島は日大相撲部出身で、学生横綱のタイトルを引っさげて鳴り物入りで角界入りしました。昭和45年1月に初土俵を踏み、入門直後はなんとパンチパーマ姿だったという破天荒ぶりでしたが、約2年半で大関に上がり、さらに1年後の昭和48年には新横綱として名古屋場所を迎えました。

 大器として注目され、本人も周囲の期待に応えて大変なスピード出世を果たしたので、師匠の花籠親方も輪島だけは別格扱いでした。独身者は普通は所属部屋で過ごすのですが、名古屋場所の際には宿舎ではなく高級ホテルに宿泊し、リンカーンで場所入りするなど周囲をあっと驚かせました。

しかし、その型破りな点だけが輪島の魅力ではありません。ときに迷言も飛び出す、おおらかで憎めない人柄と、金色の締め込みで左下手投げを炸裂させる「黄金の左」と呼ばれた取り口で唯一無二の横綱像を作り上げ、大鵬が去った後の相撲界をけん引する、新時代の象徴として一世を風靡したのです。

北の湖は昭和49年初場所に関脇で初優勝を飾り、場所後大関に昇進すると、春場所では10勝。続く5月場所は13勝で優勝し、次の名古屋が早くも綱取り場所とされました。この頃まだ21歳だった北の湖は場所ごとに強さを増していくようで、「北の怪童」と呼ばれ大きな期待をあつめました。

優勝決定戦で北の湖を破り、両手をあげパレードする横綱輪島=昭和49年名古屋場所千秋楽、愛知県体育館前で

そんななか迎えた昭和49年名古屋場所千秋楽での両者の対決は、輪島と北の湖の土俵を語る上で最も印象深いものです。14日目終了時点で輪島12勝、北の湖13勝で千秋楽結びの一番を迎え、ここで北の湖が勝てば2場所連続優勝、横綱昇進間違いなしという場面でした。

しかし、この場所直前に琴桜、場所序盤に北の富士と続けて横綱が引退するなか、一人横綱として綱を張っていた当時26歳の輪島が意地を見せました。まずは本割、勝負を急いだ北の湖を「黄金の左」と呼ばれた下手投げで下し、続く優勝決定戦でも同じ左からの下手投げを決め、劇的な逆転優勝を果たしたのです。

惜しくも優勝をのがした北の湖でしたが、将来的に角界を背負うこと間違い無しとの声に押され、横綱に推挙されました。この時、故郷・北海道の母親に電話をかけて「ほんまに横綱になったんや 母ちゃん」と語ったいう、若者らしく微笑ましいエピソードがあり、その言葉を刻んだ碑が、名古屋市熱田区の白鳥山法持寺に残されています。こうして史上最年少で第55代横綱北の湖が誕生し、「輪湖時代」が本格的に幕を開けたのです。

横綱昇進伝達式で、北の湖(左)と三保ケ関親方=名古屋市熱田区の法持寺で

輪島と北の湖は取り口が同じ左の相四つなのですが、輪島は左下手を引いての投げ、北の湖はまわしを取り、胸を合わせて寄るのが持ち味でした。しかし、先程触れた昭和49年の名古屋場所に象徴されるように、若い頃の北の湖は性格的に我慢が足りず、まわしを十分に引けないままに、大きな身体にまかせて前に出ようとするクセがありました。輪島はそのクセをよく見抜いていて、それを待ってましたとばかりに左からの下手投げで何度も逆転したのです。他の力士には勝てても、輪島には中途半端な体勢の寄りは通用しません。

これを反省した北の湖はまわしを十分引きつけるまで我慢するようになりました。有利な体勢で寄り切る相撲に進化することで苦手を克服し、横綱として大成することができたのです。もし若い頃の慌てグセがなければ、24回どころかもっと何度も優勝を重ねていたに違いありません。そういった意味で、憎らしいくらいに強いとまで言われた横綱北の湖の相撲は、ライバル横綱輪島との対戦の中で完成されていったと言っても過言ではないでしょう。

奉納土俵入りを披露する横綱北の湖。左は太刀持ち増位山、右は露払いの吉王山=東京都渋谷区の明治神宮で

「輪湖時代」と言われるなか、この頃の力士で忘れてはならないのが、角界のプリンスとうたわれた初代貴ノ花の存在です。この連載の初回でご紹介した若乃花の末弟にして、若貴兄弟の父であり師匠でもあった人です。

冒頭で「輪島とそろって大関に昇進」と述べましたが、貴ノ花の初土俵は輪島よりも5年早く、中学を卒業して間もない昭和40年の5月場所でした。しかし中学時代の彼は水泳部で大活躍、将来はメキシコオリンピックへの出場間違いなしと言われ、バタフライでのメダルも期待されるほどの選手でした。

ですから、本人が角界入りを熱望しても、兄・若乃花をはじめ周囲は反対しました。10人兄弟の末っ子だった貴ノ花は、兄の若乃花とは22歳も離れており、ましてや若乃花は「栃若時代」を築いた人気絶頂の大横綱でした。甘やかされて育った末の弟が、厳しいプロの世界で成功するわけがない、それよりも、水泳でオリンピックを目指すべきだ、と猛反対されたのです。

そんな貴ノ花の角界入りが決まったのは、母親が兄であり師匠でもある若乃花(当時は二子山親方)を説得してくれたからです。貴ノ花は、兄の二子山部屋に入門するにあたって言われた「今日からは兄でも弟でもない、師匠と弟子の間柄だ、そのつもりでやれ」という言葉を肝に銘じて過ごしたといいます。二子山親方も“土俵の鬼”と言われた若乃花その人ですから、実の弟だからとて容赦せず、一層厳しく鍛えたのです。

猛稽古の甲斐あって貴ノ花は順調に番付を上げ、若くして幕内上位を賑わせるようになりました。しかしどれだけ稽古しても100キロあたりから体重が増えず、結果、後から入ってきた輪島や北の湖に番付を抜かれることとなります。

名古屋入りする、当時関脇の貴ノ花(左)と輪島=昭和47年6月、名古屋駅新幹線ホームで

ライバル関係にあった3人ですが、土俵を離れた貴ノ花と輪島は大親友でした。輪島は入門前の日大相撲部時代に、相撲部寮の目の前にあった花籠部屋へ度々稽古に出かけていました。そこへ、十両に上がったばかりの貴ノ花も出稽古に通っていたのです。大学生の輪島が何番か貴ノ花を負かしてしまい、貴ノ花の師匠の二子山親方が「黒まわしにしろ」と、鬼の形相で叱りつけたといいます。十両以上でないと白まわしは締められませんから、学生に負けるなど十両失格だと叱ったわけです。

その時から貴ノ花と輪島は親友になりました。2歳年上で性格もおおらかで兄貴肌だった輪島と、10人兄弟の末っ子だった貴ノ花とは随分気があったようです。大学生の輪島が国技館前で貴ノ花の相撲が終わるのを待っていて、そこから一緒に食事に出かけたりもしました。輪島が花籠部屋へ入門してからも、二子山部屋とは同じ二所ノ関一門ですから、親友として、またライバルとしてお互いを意識し合いながら切磋琢磨していった、というわけです。

仲良く大関に昇進、握手を交わす輪島(右)と貴ノ花=昭和47年9月、東京都杉並区の花籠部屋(当時)で

この2人の対戦で忘れられないのは、関脇同士で水入りの大相撲を繰り広げた昭和47年秋場所、千秋楽の一番です。結果的には輪島が勝ち、人気力士同士の大熱戦にファンは大喜びでした。全勝の横綱北の富士が優勝したのですが、輪島が13勝2敗で殊勲賞、貴ノ花は10勝5敗で敢闘賞を受賞し好成績で場所を終え、若い2人のさらなる活躍を期待する機運が大いに盛り上がったところで、場所後に2人揃って大関に昇進したのです。

貴ノ花の大関在位50場所という記録は当時の1位記録でした(現在は千代大海、魁皇の65場所に次ぐ2位)。大関として絶大な人気を誇るなか、昭和50年の3月と9月に優勝を飾りましたが、横綱昇進の条件を満たせず、“悲劇の大関”といわれながらついに綱には届かないまま土俵を去りました。

それが昭和56年初場所、奇しくも関脇千代の富士にとって初優勝の場所でした。続く3月場所では輪島が引退を表明。横綱北の湖は健在でしたが、当時もう一人綱を張っていた二代目若乃花は休場がちで、時代は再び新世代の台頭を待つこととなります。

そんななか番付を上げていった若き千代の富士の活躍については、また次回にご紹介いたしましょう。

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プロフィール

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日本福祉大客員教授、元NHKアナウンサー・相撲ジャーナリスト

1930年、北九州市生まれ。早大卒業後、53年NHK入局。初任地は名古屋局で、自身初の大相撲実況は54年2月に金山体育館で行われた大相撲名古屋場所(当時は準本場所)。

NHK在職中は名古屋、福岡、大阪、東京と大相撲の本場所開催地の放送局に在籍。81年、大関貴ノ花引退の放送で思わず絶句。“泣きの杉山、泣かせの杉山”と異名をとる。相撲以外でも東京、メキシコ五輪をはじめプロ野球など各種のスポーツ実況を担当。

現在は日本福祉大生涯学習センター名誉センター長、客員教授。名古屋・栄の中日文化センター講座「大相撲の魅力を語る」で講師を務める。深い知識と豊富な経験を基に、講座で興味津々の話題を紹介してくれる。

著書に「大相撲この名勝負」「土俵の鬼三代」「兄弟横綱−若貴の心・技・体」「土俵のチンギス・ハーン 白鵬」「土俵の真実」など。最新刊は「土俵一途に 心に残る名力士たち」(中日新聞社発行)。

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