第五回 若貴フィーバーとライバルたち 2017/7/8

昭和最後の年・63年は、若乃花、貴乃花兄弟をはじめ曙、魁皇ら、角界入門者が大豊作の年でした。昭和から平成へと時代が流れるのとともに、彼らの成長によって、相撲界も千代の富士時代から若貴時代へと大きく変化します。

千代の富士が引退した直後の名古屋場所では、北勝海、旭富士、大乃国らが綱を締め土俵をリードしましたが、ファンの目は若貴と曙の3者に釘付けになっていました。なかでも若乃花・貴乃花兄弟の出世争いが注目されたのですが、父が名大関とうたわれ大変な人気を誇った貴ノ花であったという事が、最もファンを惹きつけていたのは間違いありません。

昭和63年4月、初めて番付に自分の名前が載ったのを確かめる貴花田(当時・右)と若花田(当時・左)。中央は元大関貴ノ花の藤島親方(当時)。

しかし、出世争いという点では同期の曙が彼らより常に一足早く番付を上げ、若貴人気の前に実力で立ちはだかった事が今でも忘れられません。平成5年名古屋場所での、曙・若ノ花(当時)・貴ノ花(当時)による三つ巴の優勝決定戦がその最たるものでした。

当時曙はすでに横綱に昇進しており、貴ノ花は大関、若ノ花は関脇でした。巴戦ではクジで取組の順番を決めるのですが、まず曙と若ノ花が対戦。曙が若ノ花を吹き飛ばす勢いで押し倒し、勝利します。次いで土俵に上がった貴ノ花も一方的な寄り倒しで破り、横綱としての真価を見せつけたのでした。

平成5年名古屋場所千秋楽、三つ巴の優勝決定戦で曙が若ノ花(当時)を押し倒し勝利を上げる。

若ノ花はこの日の本割で武蔵丸との大相撲を制して決定戦に進んでおり、その疲れが一方的な敗北につながったと見ても決して間違いではありません。179センチ・119キロの若ノ花が、204センチ・200キロの曙に吹き飛ばされたときは、館内のあちこちでファンの悲鳴が上がりました。

いっぽう貴ノ花はこの名古屋が綱取り場所だったのですが、周囲の期待に応えることができませんでした。また、多くのファンは決定戦で若貴兄弟の対戦を最も期待したのですが、クジのなせるわざで史上初の兄弟対決が夢と消え、がっかりしていた姿が思い出されます。※その後平成7年の九州場所で兄弟対決が実現しました。


平成5年 名古屋場所 横綱として初の優勝を飾り、オープンカーから笑顔でファンにこたえる曙(右)。旗手は鬼雷砲。

貴ノ花はその後も大関として綱に挑戦し続け、翌平成6年の5月場所で優勝を飾り、再び名古屋場所を綱取り場所として迎えることになりました。しかしこの時期、高まる期待の反面あらぬ事で厳しい批判にさらされる場面が多々あったことも忘れられません。

名古屋場所前の巡業の花道で、高校生がふざけて貴ノ花の背中を叩いた際、貴ノ花が相手を叩き返したという噂が広まりました。実際のところ貴ノ花は高校生をたしなめただけで、この件について一般紙は取り上げなかったのですが、スポーツ紙や週刊誌はかなり批判的に報じました。

また、名古屋場所では舞の海との対戦の際、土俵に向かって力水を吐いたと責められたこともありました。力水というのは、柄杓の水を口に含んですぐに、土俵下へ吐いて捨てるのが通例なのですが、この時貴ノ花は水を捨てずに口に含んだまま土俵へ向き直りました。ちょうど私は土俵近くの記者席でこの一連の動作を見ており「おや、力水を飲み込んでしまった、珍しい」と思いました。貴ノ花は、土俵に吐いてなどいないのです。

彼がなぜ、いつもの所作と違う動きをするに至ったのか。何を仕掛けてくるかわからない舞の海を強く警戒する気持ちや、綱取りの重圧などが混ざり合って、極度の緊張状態だったのでは、と私は見ています。そしてこれらのことは、当時貴ノ花の一挙手一投足が、相撲ファンのみならず日本中から異常なまでに注目され、また厳しい目にも晒されていたということの現れだと思っています。

結果的にこの平成6年の名古屋場所は11勝4敗で終わり、綱取りは失敗しました。しかし貴ノ花は奮起して連日厳しい稽古を自らに課し、次の秋場所では史上最年少での全勝優勝を達成しました。しこ名を貴乃花と改めた九州場所でも連続して全勝優勝の快挙を成し遂げ、ついに横綱への昇進を果たしたのです。

横綱昇進の伝達を受ける大関貴乃花と二子山親方=福岡市の二子山部屋宿舎で

人気者として、若くして角界を背負うプレッシャーだけでなく、土俵以外の動きまで逐一報道されるストレスにも耐え、ぶれずに横綱を目指し掴み取ったのですから、その芯の強さは見事というほかありません。

一方兄の若乃花は、もともと中学・高校と相撲部で活躍していたのですが「弟は不器用だからそばにいてやりたい」と高校を中退し、昭和63年春、弟とともに父の藤島部屋に入門しました。このエピソードからも分かる通り、弟思いなことでも有名でした。

兄弟で火の出るような稽古に明け暮れ、弟には先を越されましたが順調に番付を上げました。弟は本格的な取り口で大横綱と呼ばれましたが、若乃花は小兵ゆえに多彩な技を駆使しながら道を切り開きました。特に曙や小錦などの大型力士を下手投げで転がした痛快な相撲が、今でも目に焼き付いています。

平成10年 名古屋場所を前に土俵入りを奉納する横綱・若乃花(太刀持ち五城楼)=名古屋市の熱田神宮で

若乃花は平成10年の大阪場所と5月場所に大関で連続優勝し、名古屋場所では新横綱としてファンの前に姿を表しました。しかし横綱となってからは、優勝決定戦へ進みながらも賜杯を手にすることができず、その点は悔いが残ったことでしょう。足腰をはじめ身体中が限界を迎え、平成12年春場所で引退となります。

しかし大型力士隆盛の時代に小さな身体で技を磨き、兄弟揃って横綱となったのですから、その土俵人生は見事だったと言うほかないでしょう。また、気さくな人柄と持ち前の明るさで、弟同様大変な人気を集めたことは皆さんご存知のとおりです。

さて、若貴のライバルとされ、貴乃花とともに曙貴時代を築いた横綱曙についてもお話ししておかねばなりません。

曙の師匠は、昭和47年の名古屋場所で史上初の外国出身力士としての優勝を飾った東関親方(元・関脇高見山)でした。また、現役中に日本国籍を取得して引退後も協会に残り、部屋の看板をかけたのも高見山が第一号でした。

曙は、同じハワイ出身の親方の指導をよく守り、真面目に稽古に取り組み、また日本語の勉強も熱心でした。曙が入門した翌年、大阪場所で東関部屋の宿舎だった寺で、若き曙と会ったときのことが忘れられません。その時はNHK制作の国際放送番組の取材だったこともあり、通訳を用意していったのですが、彼は日本語でこう言ったのです。「片言でも自分の言葉で、日本語で話したいので、通訳はいりません」

この言葉に私は胸を打たれ、大いに感心しました。彼がいかに早く日本にとけ込もうとがんばっていたか、という事の現れだと思います。その後、努力の甲斐あって貴乃花を上回る勢いで番付を上げ、平成5年初場所後には横綱まで上り詰めました。また外国出身力士としては初めての横綱誕生で、当時としては大変な快挙でした。

ところが、曙の横綱昇進を祝うその日に、貴ノ花が宮沢りえさんとの婚約を解消したとのニュースが流れ、運悪く記者会見が重なってしまいました。マスコミが貴ノ花側に集中してしまい、曙のお祝いムードが霞んでしまったのです。

慣れない日本で見事横綱を勝ち取った実力者として、もっと評価されてしかるべきなのですが、同期の若貴兄弟の異常ともいえる人気に押されてしまったという、気の毒な点があったことも事実です。しかし、平成13年初場所後に引退するまでに10回の優勝を果たし、横綱として立派に角界を支えたというのは間違いのないことです。

平成11年以降、ケガや病気が相次ぎ休場がちだった貴乃花は、平成13年の初場所で14場所ぶりに21度目の優勝を飾りました。曙が引退してしまい、ファンは強い貴乃花の復活と土俵の盛り上がりを期待しました。その声に応えるように、夏場所では右膝のケガを抱えながら横綱武蔵丸との決定戦をものにし、奇跡の22回目の優勝を果たします。表彰式で小泉純一郎首相(当時)が「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」と祝福した、あの優勝です。

平成13年夏場所 武蔵丸との優勝決定戦を制した貴乃花。

しかし、14日目の取組で右膝を痛めたまま、千秋楽の本割・決定戦と強行出場したことがたたって、翌名古屋場所から7場所連続の長期休場を余儀なくされてしまうのです。その後、平成15年初場所で引退となり、右膝の痛みと引き換えに勝ち取った平成13年夏場所の優勝が、結局貴乃花最後の優勝となったのでした。

人気の横綱たちが相次いで土俵を去ることになり、その穴を埋めるように綱を張っていたのが、ハワイ出身の武蔵丸でした。平成11年夏場所後に横綱に昇進し、名古屋場所では新横綱として土俵入りを披露しました。この時のことは、まだファンの記憶に新しいのではないでしょうか。

勝負の世界は、層が厚い時期とそうでない時期が、波のように交互に訪れるのが常です。後を託された武蔵丸が孤軍奮闘していた時、間隙を縫うように朝青龍が登場するのです。朝青龍の台頭とその後の時代については、次回の最終回にお話ししましょう。


さて、明日から名古屋場所です。横綱稀勢の里はケガの具合が心配されましたが、ここへきて稽古で復調の兆しもあり、今場所は期待できると見ています。

また白鵬は、魁皇の持つ通算最多勝を更新する勢いで順調に調整をしてきたようです。魁皇は今回お話しした若貴・曙と同期で、この3者には及ばないものの大関にまで上り詰めました。丈夫で長持ちの典型のような力士で、通算勝ち星が歴代一位の1047勝という大記録を残しています。早ければ、白鵬が場所11日目に魁皇の記録に並び、さらに39回目の優勝を狙いますので、その点にも注目してください。

私の最大の関心は何と言っても新大関・高安です。彼にとって大関は通過点に過ぎず、間違いなく横綱を掴み取れる力を持つ力士です。扇のサインは、先日知人と開いた「高安を励ます会」の席でのものです。しっかりと檄を飛ばしてきましたので、ファンの皆さんもぜひ期待して土俵を見守ってください。

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プロフィール

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日本福祉大客員教授、元NHKアナウンサー・相撲ジャーナリスト

1930年、北九州市生まれ。早大卒業後、53年NHK入局。初任地は名古屋局で、自身初の大相撲実況は54年2月に金山体育館で行われた大相撲名古屋場所(当時は準本場所)。

NHK在職中は名古屋、福岡、大阪、東京と大相撲の本場所開催地の放送局に在籍。81年、大関貴ノ花引退の放送で思わず絶句。“泣きの杉山、泣かせの杉山”と異名をとる。相撲以外でも東京、メキシコ五輪をはじめプロ野球など各種のスポーツ実況を担当。

現在は日本福祉大生涯学習センター名誉センター長、客員教授。名古屋・栄の中日文化センター講座「大相撲の魅力を語る」で講師を務める。深い知識と豊富な経験を基に、講座で興味津々の話題を紹介してくれる。

著書に「大相撲この名勝負」「土俵の鬼三代」「兄弟横綱−若貴の心・技・体」「土俵のチンギス・ハーン 白鵬」「土俵の真実」など。最新刊は「土俵一途に 心に残る名力士たち」(中日新聞社発行)。

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