信長公記天理本の現代語訳をクラウドファウンディングで発行! 2017/10/3

現代語訳・信長公記天理本 首巻の仮表紙です

中日新聞が夢チューブというクラウドファウンディングを始めました。現在私は、それを利用して、信長公記の天理本(信長公記写本のひとつで天理大学図書館所蔵)の現代語訳を発行しようと思っています。
詳細は「夢チューブ 現代語訳信長公記天理本発行プロジェクト

信長公記はご存知のように、元は信長の弓衆で、後に官吏となった太田牛一が著した信長の一代記で、信長研究では欠くことのできない資料となっています。私のこの連載を始め、信長の話はだいたい信長公記の受け売りです(苦笑)。

そんな信長公記ですが、公に発行されたものではなく、太田牛一が大名などの依頼に応じて、おそらく手元にあっただろう原書に手を加えながら書き写したものや、それを後年になって他人が書き写したものなど、様々な写本として残っています。したがって内容は写本により、また書き写した年代によってもけっこう異なっています。登場人物の名前が消されていたり、また書き加えられていたり、あるいは日付や地名が異なっていたりと、なぜそれが行われたか、そうしたことも研究されていたりします。

信長公記は上洛以後の全15巻ですが、これとは別に俗に首巻と呼ばれる、尾張時代の若き信長を描いた巻があり、特に天理本の首巻にはほかの写本とは大きく異る話が載っており、信長の常識が変わってしまうほどの内容となっています。とはいえ、この本の評価はまちまちで、研究者によってはまったく評価されないこともあります。しかし読んでいるとどうにもおもしろい。そこでこれをできるだけ多くの人に、あるいは誰にでも読んでもらえるよう、現代語訳して発行することにしました。

これまで陽明本と呼ばれる写本の翻刻や現代語訳がいろいろ出版されており、前述のようにそれが現在の信長の常識を作っていますが、発行されたのが30年近く前ということもあり、けっこう間違いも多く、そのためにどうも信長像が誤解されているようにも思えます。それで今回天理本を現代語訳するにあたっては、できるだけ最新の研究成果や地元ならではの知見を入れて、できるだけ正確に現代語訳することを試みました。例えば以下の様な話です。

小口城址公園にある望楼。休館日以外は昼間、開放されており登れる

信長は永禄6年(1563年)に小牧山城を築いたとされていますが、信長公記には、これが出来上がるのを見た敵の小口城( 愛知県丹羽郡大口町城屋敷1丁目261)が、戦わずして撤退したというくだりがあります。昨今の発掘調査で、小牧山が巨大な石垣の城とわかってきたため、私もなるほどと思っていました。

ところが天理本には小牧山の並びの小口城ではなく、小牧山地域に小口城があり、そこから20里(約2キロ)離れたところに要害が築かれたので撤退した、と書かれています。太田牛一書いた距離はかなり正確なのがわかっていますので、4.7キロある小牧山では、たしかにおかしい。これまではなぜか誰もそれを疑問にしていませんでした。

国指定の青塚古墳(愛知県犬山市青塚22−3)

そこで小口城から2キロの場所に何があるかと調べてみると、青塚古墳がありました。国指定の高い古墳で、ここは後の小牧長久手合戦で秀吉側が砦を築いていますので、信長がそれより前に使っていてもおかしくないでしょう。

現在、小口城は城址公園と望楼、資料館が整備されており、この望楼へ登ってみると、小牧山城も青塚古墳もよく見えます。望楼の展望台床に方向が表示されているので、ぜひ現地で眺めてみてください。小牧山城は小口城からは遥か彼方に見えますが、青塚古墳がそれより近いのは実感できます。ここに砦が作られたならかなり威圧感があるでしょう。

小口城からの遠景(南)。右手の端の山が小牧山城、左手の端に青塚古墳が見える
拡大写真。サークルKの看板先に青塚古墳が見える

そんなふうに、天理本を読み解くと、面白い話がいっぱい出てきます。そんなこの本の原稿を書いているのは、私ではなく、かぎや散人というペンネームの市井の研究者です。数年前までインターネット上に膨大な研究結果を発表されていましたが、今は閉鎖されており、今回、その研究成果をこの本に盛り込まれました。天理本には、信長が戦いの前日に家臣と酒を飲んで騒いだとか、大高城の南に砦を築いていたとか、これまでにない話があり、大変おもしろい。それだけでなくかぎや散人氏は、桶狭間合戦においても、新しい説を提示されています。

ということで、この興味深い本を12月に発行する予定です。つきましてはクラウドファウンディングでぜひお求めください。2000円で私の「桶狭間への道」をおまけにつけてご自宅へお届けします。4000円出していただけますと私の発行記念講演にご参加いただけます。どうぞよろしくお願いいたします。詳しくは中日新聞の「夢チューブ」をご覧ください。

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自動車&歴史ライター

1956年 名古屋市守山区(当時は守山市)生まれ。バンド活動から自動車雑誌、タウン雑誌などの編集を経て、出版編集・web制作を生業とする株式会社デイズを創業。

代表を務めつつ、自動車ライターとして、中日スポーツなどで試乗記を10数年間、毎週執筆。現在は「モーターデイズ」というwebサイトを中心に活動中。

今年5月には、長年の取材をまとめた「信長公記で追う桶狭間への道」を出版。織田信長誕生から桶狭間の合戦までの26年の人生、その年齢ごとのゆかりの地をクルマでたどる歴史観光ガイドムック(雑誌タイプの本)で、歴史ライターとしても活動を始めた。

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