「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきました。 2017/10/17

先週の木曜日(10/5)、東京で仕事があった。いつもの出張のつもりで準備をしていて気がついた。そうだ、たしかこの日から「山形国際ドキュメンタリー映画祭」が始まる!1990年代こそほぼ毎回行っていたものの、このところ仕事が忙しく、眼の調子も良くないので、足が遠のいていた。

でも、食べ物と空気のおいしい山形で、ドキュメンタリー映画漬けになった日々を思い返すと、久々にそれを味わいたい気持ちがつのる。せっかく東京まで行くんだしな!と自分に言いきかせ(笑)、「山形・一泊・映画の旅」に予定を組み直した。一泊というのは寂しいが、勢いというのも時には必用だ。

「山形国際ドキュメンタリー映画祭」は、1989年に始まった、その名の通りドキュメンタリー映画に特化した隔年開催の映画祭。当時はまだ世界的にもそんな映画祭は珍しかったし、映画館でドキュメンタリーを上映することも多くはなかった。

先述の通り、90年代は足げく通っていたが、その頃、毎回感じたことはドキュメンタリー映画の幅の広さだ。テーマ的にも、世界の未来を憂うものから、徹底して個人の日常を追うものまで、実に多様だった。作られ方の面でも、実直に事実を積み重ねるものもあれば、作り手が対象に介入していくものや、既存のニュースフィルムなどを再構成し、新たな文脈・意味を作り出すものもあり、行くたびにドキュメンタリーは、なんと様々な顔を持っていることか…と感嘆させられたのだった。

もうひとつ印象深かったのは、アジアで作られたドキュメンタリーを積極的に紹介していたこと。フィルムからデジタルへの移行期にあった90年代、安価なデジタルカメラが映画制作を容易にした。その結果、中国、韓国、東南アジア、中央アジアなどの諸国や地域で、個人制作によるドキュメンタリーが飛躍的に増えていたのだ。そんな状況に「山形」は敏感に反応し、91、93年「アジア・プログラム」、95年「アジア百花繚乱」、97年からは「アジア千波万波」といった部門を継続させてきた。

そうした先駆的活動は世界的に注目を集めたし、またその後の日本の映画状況の変化にも大きな役割を果たしたと言えるだろう。今では、ミニシアターのラインナップのかなりの部分をドキュメンタリー映画が占めていることは、映画好きの方ならご存知の通りだ。

さて、そんな「山形」への久々の訪問は、わずか二日間とはいえ、やはり刺激的だった。まず『映画のない映画祭』(ワン・ウォ監督 2015年)という作品から見始めたのだが、これは2014年に北京郊外の村で開かれるはずだったインディペンデント映画祭が、開幕直前に当局によって中止に追い込まれる様子を追ったもの。前日に中止が決まったため、多数の観客、関係者が知らずに訪れるのだが、会場周辺を正体不明の自称「この村の者」が取り囲み、人々を追い返そうとする。一方、参加者たちは手にした携帯電話で事態を撮影、「村の者」との激しいやりとりが映し出されていく。やがて、壁を乗り越えて侵入してきた警察によって主催者は拘束され、所蔵されていたこれまでの上映作品も根こそぎ押収されてしまう…。

検閲を受けた映画しか上映できない中国にあって、インディペンデント映画はこうした映画祭などが地道な努力を重ねて紹介してきた。ここ「山形」も、彼らの作品を上映することで、支援し、連携してきたと言えるだろう。だが、そんな映画制作と上映のささやかな自由に対する中国政府の圧力の強まりを、本作はリアルに伝えている。映画祭が予定通り開かれ、そこに自由に参加できる我々と、中国の彼らとの隔たりを痛感することから、今回の私の「山形」は始まった。

〜『映画のない映画祭』上映終了後の ワン・ウォ監督(中央)のQ & A の様子〜 提供:YIDFF

しかし、それは本当に「隔たり」なのだろうか?たしかに、今この瞬間は、我々の方が自由なのかもしれない。だが、為政者の言う「安全」やら「安心」のために個人の自由は売り渡してしまえば、やがては我々も自称「この村の者」に取り囲まれる日が来ないとも限らない…。そう、「山形」は、多様な映画の中で偶然に出会った映画が見せる相貌に、思わず立ち止まり、考え込ませるものがある。次回、もう少し映画祭とドキュメンタリーのことを書いてみたい。

〜今年4月に没した松本俊夫監督の 追悼上映も行なわれた。その会場の様子。 三面マルチ作品なので映写機も三台〜 提供:YIDFF
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プロフィール

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名古屋シネマテーク 支配人

1961年、名古屋市生まれ 。南山大学卒。在学時から、自主上映団体「ナゴヤシネアスト」のスタッフに参加。

卒業後は、同会が1982年に設立したミニ・シアター「名古屋シネマテーク」の専従スタッフとなり、1987年より支配人。

1993年〜2002年、愛知芸術文化センターオリジナル映像制作作家選定委員。

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