「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきましたA 2017/11/29

『オフ・フレーム/勝利まで』より  写真提供=山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局

「山形国際ドキュメンタリー映画祭2017」の話を続けたい。
(前回記事:「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきました。)

急に思い立った一泊二日の旅だったので、見られた映画は少なかった。だが前回書いた通り、“「ヤマガタ」は、多様な映画の中で偶然に出会った映画が見せる相貌に、思わず立ちどまり、考え込ませるものがある”。先述の『映画のない映画祭』に続いては、「政治と映画:パレスティナとレバノン70sー80s」という企画で上映された『オフ・フレーム/勝利まで』(ムハンナド・ヤークビー監督)が印象に残った。
 
本作は、1960年代から70年代にPLO(パレスティナ解放機構)の映画制作チームによって作られた数々のドキュメンタリーフィルムを、現在の視点で再構成した、いわゆるファウンド・フッテージ作品。ほぼ全編が“我々は勝利の日まで闘い続ける”というスローガンを掲げた、当時のニュース映像で出来ている。だが、それから半世紀近くたった今も“勝利の日”はまったく来ていないし、来る気配も薄い。見る者は、パレスティナ独立のために闘う当時の人々の映像と、2017年の現実との落差に打ちのめされ、残酷な時の流れに身を固くするばかりだ。

しかも、本作はラストでさらに我々に一撃を与える。ここで使われた過去の映像は、すべて他国の映画祭などに出品されていたものだ、とクレジットが出るのだ。元々のフィルムは、イスラエルの攻撃によって、消失、散逸、あるいは収奪されてしまったのだろう。パレスティナの人々は、自分たちが作り、自分たちが映っている映像さえも所有することができていない。

その意味では、中国のインディペンデント映画祭が当局によって中止に追い込まれ、事務局が所蔵していた作品の大半が没収される様子を撮った『映画のない映画祭』とも通じるものがある。自分たちの映画が、表現が奪われ、上映することも見ることも出来なくなる状況。それは、他者の声に耳を傾けることが出来ない世界のことだろう。そんな世界が、かつても今も、あちこちに存在していることを、またも思い知らされた。
 
『オフ・フレーム/勝利まで』について、あと少し。会場に、足立正生監督の姿があったので、上映後に声をかけてみた。足立監督は、60年代、大島渚や若松孝二作品の脚本に参加し、自身も先鋭的な作品を発表していたが、74年、パレスティナ解放運動に加わるため日本を離れた。以後、日本赤軍として現地で活動を続けたが、97年にレバノンで逮捕され、日本に帰国。その後は、再び映画監督として『幽閉者 テロリスト』などの作品を発表している。彼の眼に、『オフ・フレーム…』は、どのように映ったのだろう?

「いかがでした?」「うん、面白かった。昔のフィルムには知っている人も大勢映っていたからね、感慨はあるよ。でも、そんな感慨よりも、これからどうするかの方が大事なんだ。そういう方向の映画にはなっていたんじゃないかな。でね、監督のムハンナドが来るはずだったんだけど、来られなくなってさ。俺、今度、一人でこの映画の話、しなきゃいけないんだ。困ったよ…」。その時は、「この映画の話が出来るのは足立さんしかいないのにね」と友人と話しながら次の会場に向かったのだが、後に、監督がイスラエル当局から出国許可を得られなかったことを知った。“他者の声に耳を傾けられない世界”は、すぐそこにあって、我々と作り手との出会いにも横ヤリを入れてくる。そんな世界を少しでも解きほぐし、誰もが自由な生に近づけるために、表現は、映画は、存在するはずなのだが…。

そんなことを考えつつ映画を見ていたら、二日間はアッという間に過ぎてしまった。取り上げたのは、中国とパレスティナの過酷な状況を映し出したヘヴィな2本になったが、もちろんそうした作品ばかりが上映されていたわけではない。「日本プログラム」で上映された、7月に急逝した堀禎一監督の『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』は、タイトル通り静岡県の山深い地域での茶摘みと製茶の過程をひたすら見つめていて、そんな一見ありふれた人間の営みを映画にすることが、逆に際立った個性を刻印した作品だった。

天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』より。 写真提供=山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局

日常から離れ、ひたすら映画を見て、打ちのめされたり、考えさせられたり、無性にお茶が飲みたくなったり(笑)したヤマガタでの時間が、やはりとても充実していたと言っていい。
(次回、あと一回だけ、ヤマガタの話をします。)

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プロフィール

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名古屋シネマテーク 支配人

1961年、名古屋市生まれ 。南山大学卒。在学時から、自主上映団体「ナゴヤシネアスト」のスタッフに参加。

卒業後は、同会が1982年に設立したミニ・シアター「名古屋シネマテーク」の専従スタッフとなり、1987年より支配人。

1993年〜2002年、愛知芸術文化センターオリジナル映像制作作家選定委員。

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