10年をかけた岐阜城信長居館の発掘調査、ついに終了 2017/12/13

上段の池から下段の池への流路が発見された(上段の池から望む)

岐阜城、信長公居館発掘調査、平成29年度現地説明会が12月9日にありましたので、行ってきました。こちらの発掘調査は岐阜市教育委員会によって10年かけて行われ、今年度が最後となっています。

信長は1567年に岐阜入りし、小牧から居館を岐阜に移しました。小牧は信長にとって一から作り上げた理想的な「首都」だったはずですが、わずか四年で破棄してしまったのは、岐阜の方が京に近い、ということに尽きるでしょう。メリットが有ると考えれば、建築後4年しか経ってなくてもあっさり捨ててしまうという合理性こそ、信長の真骨頂。そして新たに作り上げた豪華居館の場所が金華山の裾野、現在の岐阜公園にある岐阜城千畳敷遺跡です。

下段の池の右側は岩盤を利用した景観、左側(人にいる辺り)に金箔瓦御殿があった

金華山西麓にある槻谷(けやきだに)という場所に斎藤道三、義龍、龍興が館を作り、その後信長が入って大改修を行ったこの居館跡では、この10年の発掘調査の結果、石垣や庭園のあと、金箔瓦を持つ建物の存在などが分かってきました。1569年に訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスがその豪華さを詳細に日記に残しています。これによって二年の間に豪邸が作られたと考えてもいいかと思います。その豪邸の想像図のCG映像は開催中の「信長公ギャラリー」で見られますから、すでにご覧になった方も多いでしょう。あのCGの建物が実際に立っていたのがこの発掘現場です。

水をかけると水路に敷かれた青い石が映える

今回見つかったのは居館の中央部にあった庭園の池と、下にある池とを結ぶ水路で、そこには青、黄、赤といった丸い小石が敷かれていました。つまり水路がカラフルに飾られていたことがわかりました。フロイスの記録では池には水鳥がいたそうですから、きっと魚も飼われていたでしょうね。発掘の解説は岐阜公園の総合案内所近くの発掘案内所で見られます。ただここは発掘終了に伴って12月で閉まってしまいますのでお早めに。

発掘に合わせ、案内所は残念ながら土日がお休み

信長が岐阜に入って450年ということで、岐阜市は今年、様々なイベントを行っていますが、それもそろそろ終了。そして、こちらの発掘も終了ということで、遺跡保存のため、ひとまず埋め戻されます。

そしてこれからは10年の発掘成果の報告書が作成されるとのこと。庭園や金箔瓦の建物があったことは確かですが、実際のところ、発掘されたものがいつ頃のものかはよくわからないようですし、信長はここに8年いただけで安土へ移り、その後は信忠、信孝、池田元助、池田輝政、豊臣秀勝、織田秀信(三法師)と城主が変わったので、建物などがどの時期のものなのかは、なかなか難しい問題です。

巨石を使った石垣も小牧山城の技術の流れ、と考えられますが、その技術がどこから来たのかなど謎は多く、実はわからないことばかりです。石垣の技術は越前の寺院建築から来たものでは、熱田や津島の護岸技術から来たものでは、など諸説が出ていますが、思うに、もともとあった石積みの護岸技術を、信長が小牧山城で初めて城に使うことにしたと考えてみてはどうでしょう。そしてそれ以降、城に石垣を積むのが世のスタンダードとなっていったと考えるとなんとなく納得できそうです。山に石を積むなどというのは相当な難工事なので、それを強要できるのが戦国大名の権力ということですね。

岩盤から連なる石垣も発掘されている

関ケ原合戦の前に、西軍についた当時の城主織田秀信を、岐阜城の勝手知ったる池田輝政が攻め、落城させており、この際に御殿は燃やされ(発掘で石垣に熱が加わったことははっきりしています)、岐阜城は廃城となっています。信長が去ってから25年も経っていますので、その間、建物や庭がどうなっていたのか、わかりようがありません。なお廃城後、江戸時代には小牧山城同様に尾張藩の管理するところとなり、山は立入禁止となりました。

小牧山城は信長の痕跡を消すために家康が破壊し、管理下に置いたのでは、などと考えていますが、同様の管理下に置いた岐阜城もそうなのではないかと勘ぐりたくなるところです。残念なのは手付かずで残された小牧山城と違って、明治になると公園として造成され、せっかく埋まっていた遺跡の多くが破壊されてしまっていることです。建物の礎石などもすっかり取り去られているため、今回の発掘調査でも建物の痕跡はほとんど見つかりませんでした。ご承知のように、明治維新では全国の城も大半が破壊されました。明治政府のやったことは実に残念です。

信長公ギャラリーはぎふメディアコスモス(岐阜市司町40−5)で

先日、NHKのブラタモリで岐阜が紹介されましたが、今年の初めあたりに番組が作られたら、信長450年がもうちょっと盛り上がったかもしれません。岐阜市長戦も間もなくで、新しい市長が信長観光をどう進めるかわかりませんので、それによってはまた静かな岐阜に戻ってしまうのでしょうか。しかし発掘ということでは、まだ山頂の天守部分の石垣は全く手付かずですから、ここも早くなんとかしてもらいたいものですし、引き続き、岐阜市が信長研究をすすめるよう期待したいところです。

何はともあれ、信長公ギャラリーも12月17日で終わってしまいますので、まだ見てない方は今度の土日、急ぎお出かけください。そして発掘現場へもお寄りください。

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1956年 名古屋市守山区(当時は守山市)生まれ。バンド活動から自動車雑誌、タウン雑誌などの編集を経て、出版編集・web制作を生業とする株式会社デイズを創業。

代表を務めつつ、自動車ライターとして、中日スポーツなどで試乗記を10数年間、毎週執筆。現在は「モーターデイズ」というwebサイトを中心に活動中。

今年5月には、長年の取材をまとめた「信長公記で追う桶狭間への道」を出版。織田信長誕生から桶狭間の合戦までの26年の人生、その年齢ごとのゆかりの地をクルマでたどる歴史観光ガイドムック(雑誌タイプの本)で、歴史ライターとしても活動を始めた。

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