小牧山城でまた新たな大発見がありました。現地説明会は11月18日一日限りです! 2017/11/14

現地地図です

信長の城として、歴史がどんどん書き換わっていると言ってもいい小牧山城の発掘調査、今年も大変なことになっています。

主郭地区第10次発掘調査で、北西の急斜面でもついに石垣がみつかりました。屈曲を繰り返す石垣は「虎口」の可能性もあるようで、残存延長は7.4m、推定高さ1~1.5m。滋賀県立大学・中井均先生の見解では「虎口であり、軍事的なものではなく、石垣を用いることで門という空間を儀礼の場としていたことが明らかになった」とのこと。

二年前の発掘調査現地説明会の模様

小牧山城は別名「火車輪城」と呼ばれたようです。そのわけを私は、石垣の段の間で松明を炊いてライトアップしたからではないかと、以前に書きました。今回の発見のように、山をぐるりと囲んだ石垣があれば、松明の明かりが石垣に反射して、車輪のようなライトアップ効果がより高まったと思います。今回の発見でますますそうではないか、と思えてきました。その視覚効果は、今回発見された石垣の向く北西方向の稲葉山城(岐阜城)からもよく確認できたはず。

小牧山城にある俯瞰案内看板です

小牧山城は城の周りに堀がなく、城下町にも惣堀(町全体を囲む堀)はないようですから、防御性には乏しく、当時の戦闘用の城とはまったく違うものといえそうですが、となるといったいこの城は何なのか、信長は何のために作ったのか、その謎はさらに深まったように思えます。今度発行する「現代語訳 天理本・信長公記首巻」では、守護所のようなものではないかとの仮説を書いていますので、ぜひお読みいただければと思います。

岩崎山から見た小牧山城。城を松明でライトアップしたと想像してみてください

とにかく、ついに450年の時を越えて石垣が現代に姿を表したのです。信長が作った石垣が、ですよ。これを見られるのはたった一日だけ(また埋め戻されますから)。それが今度の土曜日、11月18日です。現地説明会は午前10時30分から。最終受付は11時30分ですから、登山時間も考えて遅れないようにお出かけください。当日は市役所の駐車場が臨時に開いています。北駐車場も使えますが、南の公園の駐車場は閉鎖されていますのでご注意ください。小雨決行ですが、問合せは0568-72-2101へ。

今も巨石がある岩崎山の熊野神社と高さ5mの五枚岩

さて、午前中に小牧山城を見たら、午後は石を切り出した岩崎山(愛知県小牧市大字岩崎)へ行ってみてはどうでしょうか。クルマでの移動は15分ほどです。

小牧山城の巨石の多くはここから切り出された花崗岩です。岩崎山山頂の熊野神社には愛知県指定の天然記念物である五枚岩という高さ5mの巨石があり、これの迫力は圧巻です。名古屋城築城時には小牧山城の石も持ち出されたようですが、この岩崎山からも切り出されており、その当時の家紋や矢穴のある石が、そのままあちこちに放置されており、今もたくさん見られます。これも楽しいですね。

割るための矢穴と何かの模様が掘られた岩崎山の石

岩崎山は小牧山から北北東へ直線で約3km。小牧山城の築城時にここから信長が石を切り出したということになると、当時の信長はかなり犬山方面へ勢力を伸ばしていたことになります。小牧山城ができていくのを見て小口城が撤退したと考えられていますが、小口城が堀としていた五条川の北側まで岩崎山から直線で3.5km。これらを考えると、五条川から南は信長の領土だったということになりそうです。

岩崎山はごく小さな山だが、その存在意義は大きい

現代語訳 天理本・信長公記首巻」では、小口城が戦わずして撤退したのは小牧山築城のせいではなく、岩崎山よりさらに北の青塚古墳の上に信長方が砦を築き始めたからと考えています。信長公記に書かれた内容を見ると、そう考えるのが合理的ではないでしょうか。

砦跡の碑

岩崎山は標高54.9mとそう高くはないですが、熊野神社の舞台からの眺望は素晴らしいですよ。小牧山がよく見えますから、小牧・長久手の戦いでは小牧山の家康に対する最前線砦として構築され、秀吉方の西美濃衆である稲葉一鉄が入りました。また小牧山城では以前市役所が建っていたところを発掘調査して、小牧・長久手の戦いで家康が作った堀を再現してますので、こちらもお見逃しなく。

小牧市役所を移転させたあとに再現された、家康が作った巨大な堀
PR情報

記事一覧

桶狭間への道「信長攻路〜桶狭間の戦い 人生大逆転街道〜 NOBUNAGA's VICTORY ROAD」名古屋市が設定へ

逆境の中、清洲から桶狭間へ戦いに向かう信長は、河村名古屋市長にとっては「人生大逆転」の師匠のようで、その思い入れは並々ならず、この連載でもご紹介した…

2016/10/21

小牧山城がなぜ火車輪城と書かれたのかを考えてみました

瀬戸市の古刹・定光寺に年代記という寺の歴史を書き留めた書物がありますが、ここには信長時代のことも少し書かれています。1563年(永禄6年)2月には火車輪城の…

2016/10/12

信長の美濃攻め、後半部分の年表です

前回に引き続き、信長の美濃攻め年表後半部分です。 信長は小牧山城を作り、犬山、美濃攻略を一気に進めたと考える人が多いようですが、実は美濃攻略が第一義…

2016/10/4

信長の美濃攻め、まとめ年表を作ってみました

この連載で書いてきた桶狭間の戦い以降、信長の美濃攻めのお話ですが、いよいよ稲葉山城(後の岐阜城)を攻略する直前まで来ています。 それは1567年のことで…

2016/9/14

森蘭丸が生まれた? 金山城は見所満載ですよ

1565年の堂洞合戦の後、信長は金山(岐阜県可児市兼山・1656年に兼山と改名)まで攻略したようです。ただ良好な資料がなく、信長公記にもありませんのでよくわ…

2016/8/20

墨俣一夜城は本当にあったのか? それを考えながら行ってみるのも一興かと

さて、今回は墨俣城、いわゆる墨俣砦に関してのお話を書いておきたいと思います。信長家臣の中で頭角を現してきていた羽柴秀吉が、美濃攻めの最終期である永禄…

2016/7/30

天空の城、苗木城。ここも信長に大いに関連しています

天空の城の一つとして最近脚光を浴びつつある岐阜県中津川市の苗木城。木曽川右岸にある432mの城山に作られた城は、明治維新で取り壊されてしまいましたが、江…

2016/7/13

どうしたら、豊明と緑区の桶狭間古戦場を一緒に観光開発できるのでしょうか?

(先回からの続き)実は6月12日に名古屋市が行った桶狭間の戦い再現劇の前週の日曜日、6月5日にも豊明市の方の古戦場公園で桶狭間古戦場祭りがありました。…

2016/6/27

桶狭間合戦から456年目の6月12日、同じ時間、同じ場所の再現劇が実現

永禄3年(1560年)5月19日に桶狭間の合戦がありましたが、これは現在の暦にすると6月12日です。今年この日は、日曜日。ということで河村名古屋市長がやるぞ…

2016/6/17

信長公記の作者である太田牛一も参戦した堂洞合戦

1565年(永禄八年)9月28日、中濃に進出した信長の軍勢は、岐阜県加茂郡富加町の堂洞砦を取り囲みました。ここは刃物で有名な関市の東5キロほどの位置で、今は…

2016/5/31

プロフィール

15

達人に質問をする

自動車&歴史ライター

1956年 名古屋市守山区(当時は守山市)生まれ。バンド活動から自動車雑誌、タウン雑誌などの編集を経て、出版編集・web制作を生業とする株式会社デイズを創業。

代表を務めつつ、自動車ライターとして、中日スポーツなどで試乗記を10数年間、毎週執筆。現在は「モーターデイズ」というwebサイトを中心に活動中。

今年5月には、長年の取材をまとめた「信長公記で追う桶狭間への道」を出版。織田信長誕生から桶狭間の合戦までの26年の人生、その年齢ごとのゆかりの地をクルマでたどる歴史観光ガイドムック(雑誌タイプの本)で、歴史ライターとしても活動を始めた。

  • 会員登録
  • ログイン
今日の天気(05:00発表)
名古屋
雨のち晴れ
15 ℃/--
東京
雨のち晴れ
14 ℃/--
大阪
曇り一時雨
15 ℃/--
  • 現在、渋滞情報はありません。
  • 登録路線が未設定です。
  • 公式 Twitter はこちら
  • 公式 Facebook はこちら
クラウドファンディング 夢チューブ 中日新聞
東京新聞 電子版
中日販売サポート
東海テレビ 庄野アナと 新聞を音読してみよう!
平和の俳句
中日防災ナビ
こどもウイークリーのこーなー
過去の企画・特集