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ビートルズ来日50年 

2016/6/11 紙面から

高嶋弘之さん

 一九六六(昭和四十一)年、ファンは熱狂し、お堅い人たちはマユをひそめたビートルズの来日公演から、今月三十日で五十年。一家言ある三人に、ビートルズ論を語ってもらった。

◆愛こそすべて 根底に 音楽ディレクター・高嶋弘之さん

 英国から送られてきたビートルズのデビュー曲、正直な感想は「何じゃこれ」でした。でも二枚目を聴き、現地の雑誌を見て、尋常なアーティストじゃないと直感した。でも当時の流行はオールディーズ。放送局を歩いても英国の音楽なんて誰も興味を持ちません。そこでブームが来たように仕掛けたんです。

 飛び込みで銀座のテーラーに行き、ビートルズルックのブランドを作ってもらいました。それを宣伝マンに着せて銀座を行進させた。行きつけの理髪店で部下にカツラをかぶらせ、「早くも街に現れたビートルズカット希望の青年」というニュースも仕立てました。レコードコンサートを開く時は、女子高生を何人か集めて「合図をしたらキャーッと叫べ」と伝えておいた。そのうち合図しなくてもあちこちでキャーキャー言うようになりました。あらゆる手を使い、命懸けで売り込みました。

 日本でのデビュー盤は「抱きしめたい」です。原題が少し長いので、邦題を付けることになった。直訳すると「手をつなぎたい」なんだけど、とっさに出てきたのがこのタイトル。B面は「ジス・ボーイ」を訳して「こいつ」です。いま見直しても、われながら悪くないタイトルを付けていると思います。「悲しみはぶっとばせ」とかね。

 間違えたのは「ノルウェーの森」で、本来の意味は「ノルウェー製の家具」でした。ジョージ・ハリスンのシタールとジョン・レノンのもの憂い声を聴いて、もやのかかった森が浮かんできた。おかげで村上春樹さんの名作が生まれたわけですが。

 来日時には、売り出し中の加山雄三さんを連れ、厳重警備のホテルを訪ねました。部屋に入るとジョンがいない。どうしたのかなと思っていたら、突然後ろから現れ、加山さんの両脇に腕を入れて左右に動かした。それを見てポールが大笑いし、いっぺんに場が和みました。緊張で何を話したかは覚えていませんが、いたずら好きの一面が見られました。

 ビートルズは若者たちの叫び、真実の声を曲にした。それを希代のボーカリスト二人が素のまま、語るように歌った。どのナンバーもいまだに古びないし、当時地味だと思った曲ほど良く感じるようになってきた。根底に何があったかというと、「愛こそはすべて」でしょう。まさに奇跡の四人だったと思います。

 (聞き手・樋口薫)

 <たかしま・ひろゆき> 1934年、兵庫県生まれ。東芝音楽工業でビートルズを担当、日本でのヒットの旗振り役となった。現在は高嶋音楽事務所代表。バイオリニストの高嶋ちさ子さんは娘。

◆2人の曲 劇薬と妙薬 ミュージシャン・財津和夫さん

 五十年前、大学浪人中でした。チケットが手に入ったので、げた履きで福岡から東京の日本武道館へ行きました。失神者続出の公演だったけど、僕は冷静に見ていた。「ビートルズの『曲』が好きなんだ。その辺のミーハーとは違うぞ」という偏った意識があったのかもしれません。

 ビートルズには、ジョン・レノンのせいだと思うんですけど「むちゃくちゃ感」がありますね。とんでもないコード進行とか、なんでこんなことをするの?という違和感がありました。例えば「恋のアドバイス」とか。でも、しばらく聴いていると、抱き締められたようになる。違和感が快感に変わっていく。

 おなかの奥からしゃべりますと、僕はずっと自分の人間性は、実は(わがままな)ジョン的だなと思っていました。(バランス感覚に優れた)ポール・マッカートニー派といわれてますけど、本当は逆なんです。

 少年のころ、ジョンにシンパシーを感じていた。そんな自分が嫌いで、母親も「普通の人間になりなさい」と口酸っぱく言う。それで、ジョンの曲や歌詞、深い孤独感にどんどん引き込まれていくのが怖くて、ジョン的になるのはやめようと思った。

 深いところではジョンに引かれているけれど、これを断ち切って、ポールみたいな人間になろうと。人にも「ポールが好きだよ」と言いました。ジョンは劇薬で、ポールは妙薬。妙薬のおかげで、ジョンの悪魔に乗っ取られる感じから遠ざかることができました。

 四、五年前から、再びジョンの曲ばかりやるようになりました。本質に戻って、自分にウソをつかずに生きていこうと。こんな年になってからですけど。ジョンには血のつながりがあって、ポールは育ての親ですね。

 喩(たと)えるなら、ビートルズはジョンという受精卵があって、周りの子宮がポールでしょうか。子宮だけじゃビートルズじゃない。母胎は別でも、ジョンの作品はできていたんじゃないかな。でも、このポールという子宮は、ジョンを包み込むとても良い子宮だったと思うんです。

 家族を楽しそうだなっていうのがポール、不幸だというのはジョン。どっちへ振れてもジョンかポールがいる。裏表になっている。だから続くんですよね。ビートルズへのあこがれって。

 (聞き手・小野木昌弘)

 <ざいつ・かずお> 1948年、福岡県生まれ。72年、TULIPの一員としてデビュー。今年9月から45th Memorial Tourを開催。12月2、3日に名古屋で公演。「TULIP 45th」で検索。

◆革新ロック 素人ゆえ 作家・芦原すなおさん

 最初にビートルズの曲を聴いたのは一九六四年、中学三年生の時でした。ラジオから「抱きしめたい」が流れてきた。第一印象は良いも悪いもなくて、ただただ「変な曲だなあ。こんなの聴いたことないや」。とにかく衝撃でしたね。

 来日公演はテレビで見ました。大ヒット曲をやらないでマニアックな曲を多くやったのが印象に残っています。一回の公演は三十分ぐらいと短く、しかも当時は音響システムが発達していなかったので歌や演奏があまり聞こえなかったのは残念でしたが、格好良かった。

 ビートルズとは何だったのか。何よりも、ジョン・レノンとポール・マッカートニーというものすごい二つの才能が同じ時期、同じ地域に生まれて出会ったということ自体が奇跡。そんな彼らはエルビス・プレスリーをはじめとするロックンロールが好きで、とことんそれをまねして吸収した。いわばロックの基礎教養を完璧に習得した。その上で、そこに収まりきらないオリジナリティーや個性を発揮した。当時としては驚くべきことですが、彼らは十代のころから曲を書いています。

 例えば、「エリナー・リグビー」という曲には、イングランド民謡「グリーン・スリーブス」と同じ音階が使われている。盤石なロックの基礎の上に、彼らが子どものころから親しんできたいろんな音楽を自由に組み合わせて、ああいう音楽が出てきたのだと思います。

 僕には、ビートルズって永遠の素人と感じられます。僕が考えるに、ロックは米国のブルースとカントリーミュージックから生まれました。米国のミュージシャンにとってロックは自分たちの音楽でありすぎて、「手なり」で、つまり手が動くまま自然にやれてしまう。しかし、そこに新しいものはありません。ビートルズは素人だったゆえに革新的なことがやれたのではないでしょうか。

 ビートルズが僕たちに教えてくれたのは「Why not?」(なぜ、君はやらないんだい?)ということです。それまで歌は専門家(作曲家、作詞家)が作るものだった。でも、彼らは自分たちで演奏し、歌を作りました。専門教育を受けてなくても歌を作れると僕たちに伝えてくれた。僕も、彼らの「やればいいじゃない」に導かれて小説を書いていると思っています。

 (聞き手・大森雅弥)

 <あしはら・すなお> 1949年、香川県生まれ。90年発表の『青春デンデケデケデケ』で文芸賞と直木賞。バンド活動では、ビートルズもレパートリー。近著は『猫とアリス』『恐怖の緑魔帝王』。

 <ザ・ビートルズ> 英国リバプールから羽ばたいた世界的ロックバンド。1962年「ラブ・ミー・ドゥー」でレコードデビュー。70年に事実上解散。メンバーはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。オリジナル曲の多くはジョンとポールの共作名義。単独で作った曲も連名にしている。

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