「日本人」はお茶、「韓国人」は何飲んでる?(その2) 2015/2/11

前回記事
「日本人」はお茶、「韓国人」は何飲んでる?(その1)

書店の棚には外国人から見た「日本人論」が溢れていますが、日本に長期滞在していながら日本に関する本一冊さえ書けてなく、生まれ育った韓国の事すらちゃんと解っていない「朴」なのであります。

しかしながら、世の中には生まれつき頭が良く才能のある人が少なからずいらっしゃるようですね〜。

朝鮮半島の「高麗時代(918年〜1392年)」の「茶文化」を語るにおいて欠かすことのできない外国人が書き残した貴重な記録があります。

『선화봉사고려도경 宣和奉使高麗圖經』略して『고려도경 高麗圖經』。

書名『宣和奉使高麗圖經』は、中国「宋」時代の年号「宣和」5年に「使命」を奉じ、「高麗」での見聞を「圖(図)」&「經(経)」に纏め、皇帝に奉る書であるとの意。

『宣和奉使高麗圖經』略して『고려도경 高麗圖經』 出典:HWABONG BOOKMUSEUMS

『高麗圖經』は、1123年7月に宋(北宋)から高麗に派遣された使臣「路允迪(正使)」、「傅墨卿(副史)」の属官として、「船員」を含む約200人にも及ぶ使節団の「人・船・礼物」を管理する役目で修行していた「徐兢」が、高麗の首都「開京(開城)」に約一ヶ月間滞在し、その間見聞し得た「両国」間の「相異点」を帰国後、「画」+「解説文」に纏め、1124年8月に宋の皇帝「徽宗」に奉った一種の「見聞録」です。

「40巻」と成る『高麗圖經』は、高麗時代の政治、経済、社会、、芸術、軍事、技術、風俗・・・そして、高麗と宋との交流史等の研究において「★当代の人★」が書いた大変貴重な資料とされています。

「徐兢(1091年〜1153年)」は『高麗圖經』の序文で、

授館之後。則守以兵衛。凡出館。不過五六。而驅馳車馬之間。獻詶尊俎之上。耳目所及。

宿舎(官舎)が決まった後は、警備兵が見張っていたので宿舎の外に出たのは5〜6回に過ぎない。よって「乗り物での移動中」そして、「宴会席でお酒のやり取りの際」に見聞したことである。

亦粗能得其建國立政之體。風俗事物之宜。使不逃乎繪畫紀次之列。

だが、「建国と政治」の根本、「風習と物事」の様子の大まかなことが解ったので、それらを「物」は「画」に、「事」は「文」に漏れなく纏めた。(意訳)

と、情報収集の過程について触れています。

「幸(コウ)」を「辛(シン)」と読み間違える「朴」ですので「徐兢」の書いた「原文」どころか、「韓国語訳文」を読んでも見当のつかない箇所が多々あり、「韓国古典翻訳院」で翻訳を担当していた「朴」の親戚に訊いたところ、

返答に加え、

≪ちなみに、「徐兢」の「書画」は、「神品(最高ランク)」の境地に入っていると言われていたほど素晴らしく、『高麗圖經』を奉られた皇帝「徽宗」(「徽宗」も有名な画家であった)は大いに喜び、「徐兢」に直接面談し「同進士出身」を与え「知大宗正丞事」に抜擢した。故に『高麗圖經』は「徐兢」の出世のきっかけとなった本である。≫

とのコメントがありました。

(「同進士出身」「知大宗正丞事」って、高麗時代の「科挙システム」「公務員の階級」なんだけど、簡単に言えば彼は「昇進」したということなんだよ〜♪)

北宋の皇帝「徽宗」の「文會圖」 宮廷における皇帝と貴族達の宴会場面。 絵のいちばん下の5名は「お茶」を作っているらしい。 出典:AUTHOR ARCHIVE

『高麗圖經』は単なる「使行報告書」と言うよりは、最高ランクの芸術品と言えるものであったようですが、遺憾なことにも1126年の靖康之乱(「金」による「北宋」侵略)に遭い、「図」は無くなってしまい、「経(解説文)」のみが存在するそうですよ〜。

(『高麗圖經』は、今風で言うと「カラー写真」付きの「韓・中文化比較論」だよね〜)

鋭い観察・洞察力で、短期間の数少ない公務の機会を活かし膨大な情報を収集し、「画の達人」でもあった皇帝から、絶賛を受けるほどの「画+経」の比較文化書が編纂できる「徐兢」の際立つ才能に「朴」は自分のことが惨めに思えてくるわ〜 (/_;)

あれ〜、本題「茶文化」でしたよね?(自己否定感に打ち勝って)話を戻し、

出典を明らかにしていない韓国発情報によると、中国では「1004年(遼)」、韓国では「1090年(高麗)」、日本では「1402年(室町時代)」から外国からの使臣を迎え入れる際、お茶をもてなす「儀式」がスタートしたらしい。これは当時の東アジアにおけるとても重要な共通の外交儀式・儀礼だったらしい。

又、「宋(北宗)☆960年〜1127年」は中国を統一した後、友好的な国際関係を築くため、周辺国に「龍鳳茶」(皇帝&姫が飲む茶)をプレゼントしたみたい。高麗では宋のシンボル(symbol)であり、皇帝の象徴であった「龍鳳茶」に釣り合う「茶具」を揃え、宋の使臣をもてなしたとか。

12世紀頃の「朝鮮半島・中国・日本」の地図 出典:ウィキペディア

高麗時代の「茶文化」に関する総合的な資料はなかなか見つからないようだけど、『高麗圖經』に散発的に記されている内容から当時の様子が窺える。

土産茶。味苦澁。不可入口。惟貴中國臘茶。幷龍鳳賜團。

高麗の土産茶は苦くて渋いので飲めない。珍品は、(中国産の)蠟面茶(ろうめん茶)と皇帝から賜った龍鳳団茶。

自錫賚之外。商賈亦通販。故邇來。頗喜飮茶。

これ以外も商人が輸入し販売しているので近来の高麗人は喫茶を好む。

凡宴則烹於廷中。覆以銀荷。徐步而進。候贊者云。茶遍乃得飮。未嘗不飮冷茶矣。

宴会の際は庭園の中で茶を煮て、蓮葉型の銀の蓋をして、ゆっくりと歩きお茶を出す。ところが、賛者(儀式の補佐職)が≪出し終えた≫と言ってから飲めるのでいつも冷めた茶を飲む。

館中。以紅俎。布列茶具於其中。而以紅紗巾羃之。

「官舎(宿舎)」には、紅色の茶板に茶具を並べ、紅色の絹の風呂敷を掛けてあった。

日嘗三供茶。而繼之以湯。麗人。謂湯爲藥。

毎回1日3回「茶」を出されるが、引き続き又「湯」を注ぐ。高麗人は「湯」を「藥」と言う。

每見使人飮盡。必喜。或不能盡。以爲慢己。必怏怏而去。故常勉强。爲之啜也。

使臣がそれを飲み切ると必ず喜ぶが、もし飲み残すと傲慢な態度ととらえ機嫌を損ねて去ってしまうのでいつも無理をして飲んだ。(32巻、「茶俎(茶板)」から抜粋し意訳)

(韓国・朝鮮人の「感情表現」って高麗時代からかなりストレートだったみたいだなあ〜!!!)

「お茶」は高麗人にとって単なる飲み物ではなく、王室の儀式や、寺院の行事、祭祀などにおいて崇められるべき重要な「お供え物」だったようで、お茶が冷め冷茶を飲むほどゆっくり(丁寧に)と儀式が行われていたことが記録から窺える。

ところで、(フォーマルformalな)「宴会」と(インフォーマルinformalな)「宿舎」でのお茶の入れ方・出し方が違ってたみたい。

@≪宴会の際は庭園の中で茶を煮て・・・≫
A≪高麗人は「茶」を出して、引き続き又「湯」を注ぐ・・・≫

と、「徐兢」は記している。

@は、煮て飲む一種の「団茶」だったのかなあ〜??
Aは、容器に葉茶を入れ、 その上から湯を注いで飲む「煎茶」だったのかなあ〜??

禅宗では、お茶を飲み終わった後、湯呑に白湯を注いで飲み、「湯呑洗い」の手間を省く作法(?)があるみたいけど、「A」の「湯」は「湯呑洗い」目的の「お湯」なのかなあ〜??それとも、お茶は「貴重な薬」だから「2煎目、3煎目」まできっちり摂らなきゃもったいないと思い、茶がらに注ぐ白湯なのかなあ〜??

高麗時代のお茶の「入れ方・出し方」への推測はさて置き、

「朝鮮時代」に編纂された史書『高麗史』(1451年完成)、『高麗史節要』(1452年完成)に依ると、「仏教国」であった高麗時代には宮廷に茶を専担する「茶房」があり、お寺には「茶堂」が建てられ、お寺の近くには茶を栽培する「茶村」が形成されていたみたい。

王室の、太后や皇太子の封爵(ほうしゃく)、太子の誕生祝い、姫の結婚式などの重要儀式では「お茶」が振る舞われ、又、王から功績のある臣下のほか高齢者・病人などに賜わる物品目には「米・麦・麻・香………」以外に「茶」が含まれていたとか。

寺院の行事には「茶礼」が定例化、上流階級の間では飲茶が日常化し「茶時 ☆ teatime」が設けられ、高麗時代は朝鮮半島における「茶文化」の絶頂期であったと言われている。

韓国の「다례 タレー(茶礼)」 出典:「경산 キョンサン(慶山)」市民文化会館広報

(続く)

PR情報

記事一覧

韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その4〜【中編】

前回記事韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その4〜【前編】 「朴家」難題山積み。で、昨年の12月27日から今年の1月4日まで「9日間」緊急一時帰国してい…

2019/5/14

韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その4〜【前編】

前回記事韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その3〜 前回の「負け組女性」に求められた結婚の重要な条件に続き、今回からは「勝ち組女性」に求められた…

2019/4/6

韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その3〜

前回記事韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その2〜 大昔、読んだエッセイにこんな一文があった。 「★ 牛の労働力は人間の10倍 ★」 軽い衝撃だったの…

2018/11/6

韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その2〜

前回記事韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その1〜 高尚な「両班(ヤンバン)☆支配階級」の気高い「★ 美意識 ★」から話を変え、今回は「常民 ☆ 被支配…

2018/10/3

韓国って「内面」より「顔」が大事?!〜その1〜

「朴」は今から凡そ30年前である1988年に来日しましたが、来日後しばらく「朴の姉(次女)」の家に居候していました。そのとある日、姉の友人「Pさん(女)」…

2018/8/22

不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い 〜その1+その2〜【結び編】

前回記事不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その2〜【後編】 皆さん!目を閉じてみて下さい。それから考えてみて下さい。この地球には浜辺の砂の数ほ…

2018/6/13

不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その2〜【後編】

前回記事不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その2〜【中編】 2016年3月30日(木)から4月5日(火)まで「5泊6日」で一時帰国していました。ソウルでは…

2018/5/5

不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その2〜【中編】

前回記事不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その2〜【前編】 ある年の夏休みに、韓国で勤めていた頃の「ボス」の「秘書官」が「朴」に会いに名古屋ま…

2018/3/31

不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その2〜【前編】

前回記事不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その1〜【後編】 「朴」には、 ≪あの人、どうしてるかな〜≫ と、ずっと忘れられない人が「☆☆さん」以外に…

2018/2/24

不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その1〜【後編】

前回記事不思議なご縁の話、ある韓国人との出会い〜その1〜【中編】 「朴」は、1979年に韓国の「大統領」が「中央情報部部長」に「射殺」された「★10・26事件★…

2018/1/31

プロフィール

19

達人に質問をする

韓国語講師

韓国ソウル出身。韓国国会事務局退職後、1988年来日。大学で高等学校教諭1種免許(国語)取得。大学院で日本文化専攻。

名古屋市の官公庁などの翻訳・通訳人として活躍後、大学や名古屋市内の生涯学習センターなどで「コリア文化」に関する講座を担当。

現在は愛知大学、中京大学、中日文化センター、愛知大学オープンカレッジなどで韓国語講師をつとめる。

ピックアップ

  • サンタ休んでマス
  • 会員登録
  • ログイン
今日の天気(05:00発表)
名古屋
曇り時々晴れ
11 ℃/--
東京
曇り
10 ℃/--
大阪
曇り
10 ℃/--
  • 東名, 名神, 東名阪道, 名二環, 名古屋高速で渋滞情報あり。
  • 登録路線が未設定です。
  • 公式 Twitter はこちら
  • 公式 Facebook はこちら
クラウドファンディング 夢チューブ 中日新聞
東京新聞 電子版
中日新聞の人材研修 ビジネストレーニング「ビズトレ」
中日販売サポート
東海テレビ 庄野アナと 新聞を音読してみよう!
中日防災ナビ
こどもウイークリーのこーなー
過去の企画・特集