<第31話>北の湖さん急逝に寄せて 2015/11/29

北の湖さんの訃報には驚きました。ショックでした。
現職の理事長が本場所の最中に亡くなったというのは過去に知りません。かなり体調が悪く健康面が心配されていましたが、九州場所初日から亡くなられる前日の12日目まで、福岡国際センターに出勤して結びの一番まで確認しておられたのです。取組終了後、各社の記者に対してその日の取組などを丁寧に語っておられました。
それだけに驚きとショックを覚えました。

「土俵で死ねば本望だ」という言われ方もありますが、本場所の現場に赴き、亡くなられる直前まで、目配り気配りをしておられたということは「男子の本懐」とも言えましょう。
10年余にわたる理事長としての日々は大変だったと思います。特に4、5年前の力士に対する暴力行為による致死事件、力士の野球賭博、八百長騒動など不祥事が相次いだときには最高責任者として胸を痛める日々が続きました。内外から厳しい批判を受け、矢面に立たされましたが、夜も眠れぬ日々が続いたと聞きました。

平成27年名古屋場所初日の協会あいさつ

性格的に生真面目で真っ正直な人でしたから、なおさらだったと思います。
責任を取って、下野したこともありましたが、再登板してからは「土俵の充実」、この5文字を常に前面に押し出して立て直しを図りました。

ようやく人気が回復に向かい、新しいファンの開拓などにも心を砕き、明るさが戻ってきたときだけに、亡くなったことは無念だったに違いありません。
あと3年はトップとして引っ張っていくだけの力があった方だけに残念なことでした。残された力士たちは北の湖さんの唱え続けた土俵の充実に向けて、さらなる奮起が望まれます。それが故人の遺志に報いることです。

ところで現役時代の北の湖(本名小畑敏満)についてです。
昭和42年の中学1年生の冬、三保ケ関部屋に入門したのですが、師匠が「将来の横綱」と太鼓判を押した少年でした。その証拠に北の大地、北海道昭和新山のふもと、洞爺湖のそばで生まれ育った小畑少年に「北の湖」という四股名をつけました。通常の「海」ではなく「湖」を「うみ」と読ませる四股名にこだわったのも将来を買われてのことでした。中学に通いながら土俵を務め、大変なスピード出世でした。(今は中学卒でないと入門できません)


思い出される相撲が3件あります。

昭和49年名古屋場所千秋楽。大関として横綱輪島と対戦しました。勝てば優勝でしたが、本割で敗れ、優勝決定戦でも敗れて賜杯を逃しました。しかし、将来性を評価されて横綱に推挙されました。今でも宿舎だった名古屋市熱田区の法持寺に「横綱になったんや 母ちゃん」と電話で報告した言葉が石碑になっています。21歳2ヵ月、いまだに破られることのない最年少記録でした。

史上最年少での横綱昇進伝達式

2件目は昭和50年春場所千秋楽。当時、実力の輪島と北の湖(輪湖時代)、人気の貴ノ花と言われた時代でした。貴ノ花と優勝争いをしました。本割で貴ノ花を上手投げで下し、決定戦では敗れました。

最後は昭和56年初場所千秋楽。のちに「小さな大横綱」と言われた関脇千代の富士との対戦でした。本割で高々とつり出して強さを見せつけました。決定戦には敗れましたが、北の湖の強さが際だった2番は思い出されます。

昭和56年初場所千秋楽の本割で千代の富士を退ける

北の湖はあくまでも決定戦は番外、本割こそが正念場というとらえ方で常に過ごしてきた人です。
この貴ノ花を破り、6年後に千代の富士を破ったときの肩を揺さぶり、負けた相手に手をさしのべるしぐさも見せず引き上げる北の湖の土俵態度に、このころは憎まれることがしばしばありました。

しかし、「さしのべられた相手の気持ちを考えろ。敗れた力士がどんなに惨めな気持ちになっているか。そこへ同情的に手をさしのべることはすべきでない。惨めさをバネにして強くなって、また向かってこい」と言いたい気持ちを秘めた土俵態度だったと、私は見ています。彼からもよく聞きました。胸の奥に秘めた心の優しさ、北の湖の真骨頂を感じました。

私は歴代でだれが1番強いかとよく問われますが、負けないということも含めれば、大鵬でしょう。
しかし、目の当たりした取組から受けたものは北の湖の圧勝する姿です。強さという響きだけで言えば、大鵬よりも北の湖が1番と見ています。

力強い雲竜型の土俵入り

横綱として10年余の長期にわたり、青年横綱として一時代をもたらし、相撲界を引っ張ってきた功績はきわめて大きいものです。

戦後70年をふり返ると、栃若時代、柏鵬時代、輪湖時代、それぞれの時代が思い起こされますが、特に北の湖の強さが改めて評価されてしかるべきだと思います。
素質はもちろん、努力を積み重ねて、大きな時代を残したことに改めて敬意を表したいと思います。

北の湖さんは現役時代の相撲の話になると、じつに生き生きとした表情になり、○○年△△場所×日目、対戦相手はもちろん、相撲の内容から決まり手まですべて覚えていました。私もこと相撲の記憶力に関してはだれにも負けないつもりですが、北の湖さんの記憶力には脱帽です。

まさに「大相撲の申し子」だったのではないでしょうか。

昭和49年初場所で初の賜杯を手にする
大相撲人気を支えたライバル輪島との好勝負
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プロフィール

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日本福祉大客員教授、元NHKアナウンサー・相撲ジャーナリスト

1930年、北九州市生まれ。早大卒業後、53年NHK入局。初任地は名古屋局で、自身初の大相撲実況は54年2月に金山体育館で行われた大相撲名古屋場所(当時は準本場所)。

NHK在職中は名古屋、福岡、大阪、東京と大相撲の本場所開催地の放送局に在籍。81年、大関貴ノ花引退の放送で思わず絶句。“泣きの杉山、泣かせの杉山”と異名をとる。相撲以外でも東京、メキシコ五輪をはじめプロ野球など各種のスポーツ実況を担当。

現在は日本福祉大生涯学習センター名誉センター長、客員教授。名古屋・栄の中日文化センター講座「大相撲の魅力を語る」で講師を務める。深い知識と豊富な経験を基に、講座で興味津々の話題を紹介してくれる。

著書に「大相撲この名勝負」「土俵の鬼三代」「兄弟横綱−若貴の心・技・体」「土俵のチンギス・ハーン 白鵬」「土俵の真実」などがある。

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