ノーベル賞作家カズオ・イシグロと長崎の記憶 2018/12/20

カズオ・イシグロは、処女作『遠い山なみの光』の舞台は、彼の生まれ故郷の長崎です。二作目の『浮世の画家』の舞台は、「日本」というだけで、日本のどこなのかは特定されていません。それは、実在の日本ではなく、イシグロの記憶の中の「日本」だからだと本人も認めています。

小津安二郎監督の映画では、静止画のように、その時代を象徴する事物が場面の切り替え時に挿入されることが多々あります。例えば、『秋刀魚の味』では、団地のベランダに干された洗濯物や布団などです。多くの海外の研究者は、この団地のベランダに干されている洗濯物に着目し、異国情緒的な哀愁を感じており、イシグロも例にもれず、団地に強いこだわりを示しているのです。それは団地がノスタルジアを誘発し、イシグロの長崎での思い出を覚醒するからだと思われます。

イシグロの小説の舞台となっている昭和三〇年代前半ごろの団地に関する資料によりますと、「千葉県松戸市の常盤平団地では、二DKの当初家賃五、三五〇円に対し、収入は五・五倍以上、約三万円あることが入居条件」だったそうです。当時、団地に住むということは、社会的なステータス確立の象徴のようなものだったのでしょう。イシグロは団地を、戦後復興の日本を語る上でなくてはならない要素に位置づけていたと思われます。そこで私は、イシグロの記憶に迫る一端として当時の長崎の団地事情を探ってみました。

日本では、昭和二十二年に、戦後初の壁式構法による四階建鉄筋コンクリート造共同住宅の建設が、東京の高輪で二棟四十八戸で試験的に行われていました。その後、昭和三十一年に一般公募が始まっています。調査の結果、長崎では、それよりも一足早い昭和二十三年に、長崎市魚の町で全二十四戸、八畳、六畳に小さな台所という間取りの鉄筋コンクリート四階建ての県営団地が一棟建設されていることが分かりました。間取りもイシグロの小説に描かれる団地と同じなのです。幼いイシグロの記憶に残る団地は、小津の映画によって触発され、小説に書かずにはいられなかったのでしょう。イシグロは、小津映画を観ると「そこで私が見て育ったらしき日本の家具、調度品を再発見する。すると私は、強い懐郷の念に駆り立てられるのです。これが私の日本といってよいかもしれませんね」と語っています。

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