水道水の話A 〜水道水の塩素消毒って必要なの?〜 2019/5/28

■なぜ水道水に塩素が必要なのか?


前回(水道水の話@では)、水道水が主に「砂ろ過」により浄化されていることをお話しましたが、この方法だけでは病原微生物までは取り除けないため、わが国では、水道法で塩素消毒を行うことが義務づけられています。ただそれ故に、「水道水はカルキ臭がしておいしくない・・・」とか、極端な例では「塩素の強い酸化力が胃、腸、肌、気管支や鼻の粘膜の細胞を破壊し、アトピーやアレルギーを増悪する・・・」といったことまで心配されるなど、一般的に水道水中の塩素に対しては悪いイメージが定着しているようです。

しかし塩素を用いた消毒は、近代水道の発展に少なからず貢献してきました。今回は水道水における塩素消毒の必要性についてお話したいと思います。

■感染症は水道水から流行する

人類はこれまでに様々な感染症と闘い、それを克服してきました。コレラや赤痢、チフスなども人類を脅かしてきた感染症ですが、これらは飲み水を媒介して感染します。1850年頃にロンドンで 1 万人以上が死亡するコレラの大流行が発生しましたが、これもコレラ菌で汚染された水道水を媒介したものでありました。当時はコレラ菌そのものが発見される前(コレラ菌の発見は1854年)でしたが、近代疫学のパイオニアであるジョン・スノーが、一部の水道(すなわち汚染された水道)に存在するある因子を摂取することで病気になることを提唱し、その水道からの給水を止めたところ、コレラの流行も止まったという話しは有名です。ここで申し上げたいのは、汚染された水が水道を通じて供給されると、たちまちのうちに感染症が大流行するということです。

■水道の整備によって伝染病は1/10に

また下に示したグラフは、わが国における水系消化器系伝染病の患者数と水道普及率の年次推移を表しています。戦後、このような伝染病の患者数は10万人を超えていた時期もありましたが、水道普及率が50 %を超えた1960年頃から急激に減少し始め、水道普及率が約80%となった1970年頃にはその1/10以下となりました。このように水道の整備は、感染症の克服・蔓延の防止に極めて重要な役割を果たしてきたことがおわかりいただけると思います。

わが国における水系消化器系伝染病患者数と水道普及率の年次推移

■水道水に塩素が残っている理由とは?


冒頭で、水の浄化の際、病原性微生物などを取り除くために塩素消毒を行っていることをお話ししましたが、これは浄化の最終工程における消毒だけを目的としているわけではありません。もともと塩素は水中での残留性が高い性質を持っていますが、この性質を利用してわざと水道水中にも塩素が残るようにしています。これを残留塩素といいます。先ほど、過去に水道水を媒介した感染症が世界中で問題になったことをお話しましたが、残留塩素は、浄水場で浄化・消毒した水が各家庭に給水されるまでに、病原性微生物によって汚染されるのを防ぐために加えられています。そのためわが国では、水道法で残留塩素の基準値が定められており、水道水には基準値以上の残留塩素が存在しているのです。

近年に発生した飲み水による集団感染の事例においても、多くの場合、直接的な原因は各施設の貯水設備へのし尿や汚水などの混入によるものではありますが、その際に塩素消毒装置が働いていなかった、もしくは装置自体が設置されていなかった事例が非常に多く、十分な量の残留塩素がなかったことも大きな要因であると考えられます。このように水道水中の残留塩素は、私たちを感染症から守る大きな役割を果たしているのです。

■塩素消毒の問題点

しかしその一方で、塩素消毒にも問題点があります。最も大きな問題の一つに、消毒副生成物の発生が挙げられます。ろ過された水の中に、フミン酸やフルボ酸といった土壌などに存在する腐植物質が混入していると、これが塩素と反応して発がんの恐れがあるトリハロメタン類が生成する可能性があります。またトリハロメタン類以外にも、水中に混入している有機物と反応してホルムアルデヒドやクロロ酢酸、臭素酸などを生成することが知られています。現在、わが国においては、これらの消毒副生成物についても水質基準が定められており、検出された場合には活性炭処理などの高次処理を行ってこれらを取り除いています。

また塩素消毒は、病原性微生物に対して有効な殺菌作用を示しますが、クリプトスポリジウムという原虫に対しては効果を示しません。クリプトスポリジウムは、ウシ、ブタなどの家畜や犬、ネコなどから検出される塩素抵抗性の原虫で、罹患すると下痢や腹痛といった消化器系に対する臨床症状を示します。一般的に原水がクリプトスポリジウムに汚染されていたとしても、「砂ろ過方式」の施設ではこの段階でほとんど取り除くことができますが、塩素消毒のみを行っている施設では注意が必要です。こういった施設ではクリプトスポリジウムの汚染の監視を行うとともに、紫外線照射による殺菌処理を導入することによって、汚染の防止を行っています。

■水道水がカルキ臭いのはなぜ?

塩素消毒をした水はカルキ臭いと言われますが、これは主に、水道原水に含まれていた有機物やアンモニアが、塩素と反応して生成するクロラミンという物質によるにおいです。有機物やアンモニアの含有量が少ないきれいな水を原水とする水道水ではクロラミンの生成量も少なく、基準値レベルの塩素量でカルキ臭はほとんどしません。現在、多くの浄水場では、このような臭い物質についてもオゾン処理や活性炭処理といった高次処理により取り除く作業が行われています。また基準値レベルの塩素量であれば、塩素自体は特に人体への影響はなく、粘膜などの細胞を破壊することはありません。さらに東日本大震災の際には、放射性物質に汚染された水源由来の水道水の安全性が心配されましたが、塩素消毒は活性炭処理と組み合わせることで、放射性ヨウ素を効果的に除去することができるという利点も有しています。

今回は、私たちが使っている水道水の塩素消毒の必要性についてお話しました。塩素は残留性が高いこと以外にも、消毒効果が速やかで、コストパフォーマンスに優れています。決して万能ではありませんが、安価に病原性微生物による汚染を防げるという点で、優秀な消毒剤であると言えます。したがって、病原性微生物によるリスクを考えた場合、基準値レベルの残留塩素が入っていない水には注意が必要です。例えば、残留塩素は蒸発しやすいので、汲み置きの水や、煮沸した後の湯冷ましの水については汚染しないように保存する必要があります。また家庭用浄水器の水も、残留塩素が取り除かれてしまっている可能性がありますので、速やかに使用することをお勧めします。

中西 剛  岐阜薬科大学 生命薬学大講座 衛生学研究室 教授

平成5年 大阪大学薬学部薬学科卒業。平成7年大阪大学大学院薬学研究科 博士前期課程修了。平成10年同研究科 大阪大学大学院薬学研究科博士後期課程修了 博士(薬学) 号取得。同年4月に 大阪大学大学院薬学研究科 毒性学分野 助手として着任、内分泌かく乱化学物質に関する研究に従事。

平成20年 岐阜薬科大学 衛生学研究室 准教授、平成30年より現職。平成30年 日本薬学会学術振興賞 受賞、日本毒性学会日化協LRI賞 受賞。平成28年より岐阜県環境影響評価審査会 委員を兼任。

現在は、内分泌かく乱化学物質に関する研究に加え、化学物質によって誘発される生殖発生毒性、免疫毒性、脂質代謝異常、神経毒性などに関する分子メカニズムの解明や毒性試験法の開発などを行っている。

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