外国人、なぜ山に家建てる?? 2013/9/6

10年程前、長崎を訪れた際、グラバー園を中心とする「南山手」「東山手」の丘はヨーロッパなどからの外国人の居住地であったことを耳にした。1年に一度程の山登りならいざ知らず、こんな山の斜面にわざわざ多くの住宅を建て、毎日行き来するなんて訳分からない!!

明治時代に来日した白人達が生活上最も苦しんだのは、高温・多湿な日本の夏だったらしい。彼らの母国である北西ヨーロッパや北アメリカ北部では、真夏でも最高気温が20℃を超える日は少なく、湿度も低い。

そこで夏でもカラッとして冷涼な避暑地「hill station」を求め、開発し始められのが軽井沢だとか。(軽井沢高原の地形や景観・気候は欧米諸国に似ているらしい。)

約20年前のある日、東山線に乗っていたら、以前に一度会った記憶のある男性が乗ってきて私の隣の席に座った。「韓国人である私」と「白髪が目立つ高齢者」という特徴で、二人はお互いのことを覚えていた。

初対面の際、その方は「戦前、韓国にある京城帝国大学(注1)を卒業後、韓国で裁判官として働き、現在は名古屋で弁護士の仕事をしている」とおっしゃっていた。たまたま再会した地下鉄の中ではその続きのお話を……

「あそこは今どうなっているんですか?ここは?そこは?あそこはどう変わっているのかなあ〜」と、その老紳士は懐かしそうに京城(ソウル)の町の名前を取り上げ、ご質問された。私にはその地名がさっぱり分からない。日本人が日本風に付けていた地名を日本から独立後、韓国が改名したっぽい。

頭の切れるこの方はご自分の住んでいらっしゃった地域のことを何とか私に分からせようと「南山 남산 ナムサン」を中心として説明し始めた。

「朝鮮統治時代、日本は南山に朝鮮神宮を創立し南山を神聖化。中腹には日本国により編成された朝鮮軍司令部を置いて植民地支配の中心地とし、麓には日本人の主な居住区域であった明治町があり……云々」(息切れ)

「朴」の育った所は景福宮の近くの「北村 북촌 プクチョン」ですが、老紳士の育った場所はどうも「南村 남촌 ナムチョン」みたいです。(話し手の情報を聞き手が間違えて解釈していたら申し訳ございません。)

雄大なる参拝路を始め384段の石階段のある「朝鮮神宮」の鳥居が見える50町の内30町が日本人町だった

当時、京城の中心地であった景福宮周りは「鐘閣」のある「鐘路 종로 チョンノ」 大通りを隔てて、「北村」と「南村」に分かれていました。

「北村 북촌 プクチョン」は景福宮と昌徳宮の間で、現在の鐘路区の「嘉会洞 가회동カフェドン」「斎洞 재동 チェドン」「三清洞 삼청동 サムチョンドン」エリア。王族や高位官職者・権力との関係の深い人々の居住地域。

一方「南村 남촌 ナムチョン」は、中区の「忠武路 충무로 チュンムロ」「筆洞 필동ピルドン」「墨井洞 묵정동 ムクジョンドン」までの南山の麓とその周辺一帯で、官職に就いていない貧しい「両班 양반 ヤンバン」や商人などが多く住んでいたそうです。

又、南山には青青しい樹木や清流の渓谷があり、「東屋」が立てられ、朝鮮時代の夏の「避暑スペース」でもあったとか。

ところが、「南村」に日本人の居住地域が形成された背景には、「酷暑」や「湿気」は無関係で、「日本公使館」が南山の麓に位置していて、「南村」一帯を日本人居留地域に指定されたことから始まったらしい。1884年の甲申政变(注2)以降、「南山」一帯に日本人が集まって住み始め、この地域を「本町通」と名付けたそうです。

当時、ソウルでしっかりした商圏を握っていたのは、「清国」の商人達だったようです。しかし、1894年「日清戦争」で日本が勝利することにより、清国の商人は閉店・帰国し、一方、日本の商人達の京城進出は急激に増加。日本人は「南村」を始めとする「南山」辺りを居留地域とし、貿易業に従事していたとのことです。

「南村」エリアにある「韓屋村」情景

韓国独立後「朝鮮神宮」は取り壊され、その影も形もなくなりました。そして、1998年には「南村」の一角であった「筆洞」エリアに、ソウルの各地に散らばっていた「両班 양반 ヤンバン」や庶民の家屋である「韓屋 한옥 ハノク」などを移築&復元したテーマパーク「南山韓屋村」が造られました。

一年中、伝統公演や節句の行事・展示会・体験イベントなどが繰り広げられ、韓国の昔の人々の暮らしなどを知ることのできる観光名所になっています。

「北村」エリアにある「韓屋村」情景

又「北村」には美しい伝統集落が昔のまま維持されていて、なおかつ実際に居住しているのに、「北村の韓屋村」と指定されているエリアがあり、現在の韓国人の暮らしぶりを感じることができます。(住んでいる人に気を使わないといけないけどね〜)

★「韓屋村」韓国のソウルに行ったら必見ですよ 〜 ♪ (続く)

(注1)京城帝国大学 : 1924年日本の6番目の帝国大学として、日本統治下の朝鮮の京城に設立された朝鮮唯一の旧制大学。現「ソウル大学」の前身と言われています。日本の帝国大学は日本に7校、京城(朝鮮)に1校、台北(台湾)に1校設置されました。

(注2)甲申政変 : 1884年(甲申の年)朝鮮の京城で、日本の援助を得て開化派(独立党)が起こしたクーデター。清国軍の介入により失敗。

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韓国語講師

韓国ソウル出身。韓国国会事務局退職後、1988年来日。大学で高等学校教諭1種免許(国語)取得。大学院で日本文化専攻。

名古屋市の官公庁などの翻訳・通訳人として活躍後、大学や名古屋市内の生涯学習センターなどで「コリア文化」に関する講座を担当。

現在は愛知大学、中京大学、中日文化センター、愛知大学オープンカレッジなどで韓国語講師をつとめる。

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