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戦禍の旧満州でオリンピアン再会 ベルリンの飛び込み、サッカー代表 

2019/5/16 夕刊

飛び込み競技で活躍した井川政代さん=めいの土屋栄子さん提供

 一九三六年のベルリン五輪に飛び込み競技で出場した井川政代さん(旧姓大沢)が、九年後にソ連軍の侵攻を受けた旧満州(中国東北部)で戦禍を逃れる中、同五輪サッカー代表だった種田(おいた)孝一さんに一時保護されていた。井川さんに関する本紙記事をきっかけに、二人(ともに故人)のオリンピアンを巡る数奇な再会が明らかになった。

 本紙は三月十七日朝刊で、ともに五輪代表だった井川さんと妹の西沢礼子さん=旧姓大沢、故人=を写した戦前の35ミリフィルムが、岐阜市に住む井川さんの遺族宅に残されていたことを報道。記事を読んだ種田さんの長女猪股直子さん(73)=東京都文京区=が、井川さんと種田さんの再会を記した母親末(すえ)さんの手記を保管していると連絡を寄せた。

 種田さんは東京帝国大サッカー部在籍中に日本代表に選ばれ、ベルリン五輪でフル出場した。日本は初戦で優勝候補のスウェーデンに逆転勝ちし「ベルリンの奇跡」とたたえられ、ベスト8入りした。卒業後は満州住友金属で勤務し、旧満州の奉天(現瀋陽市)で生活。四三年に末さんと結婚、四五年十一月に猪股さんが誕生し、翌年帰国するまで奉天で暮らした。

 ベルリン五輪で六位に入賞した井川さんは結婚後、旧満州のソ連との国境近くで軍属のタイピストとして働いていた。四五年八月のソ連軍侵攻と共に、長女章子(あきこ)さんと避難し、奉天で避難民救済団体にいた種田さんと再会した。

 末さんが八〇年代に旧満州での体験を記した手記には、種田さんが井川さん母娘を自宅に連れ帰り、「思いもかけない形で再会」と互いに喜んだことをつづっている。しかしその後、病気のため「ほどなくこの世を去られた」と記している。

 保護したのは前後の文脈から四五年十一月から十二月にかけて。その後、種田さん一家が避難民収容のため自宅を明け渡すと、井川さん母娘は近くの収容施設に移動。四六年一月に死亡したとみられる。井川さんの遺品の中には、ベルリンから帰国する船上でサッカー日本代表と撮影した写真が残っていた。

 種田さんは戦後の四七〜五六年、住友金属工業蹴球(しゅうきゅう)団(後の鹿島アントラーズ)監督を務め、住金物産会長などを歴任。九六年に八十二歳で死去した。末さんは二〇一三年に九十一歳で亡くなった。

 種田さんの長男真治さん(71)は「父は戦争体験は話さず、井川さん母娘のことを直接聞いたことはなかった」と打ち明ける。猪股さんは「『子供たちに伝えたい』と母は自筆で手記を残してくれた。記事を読んでハッと思い当たりました」と語り、「戦争で奪われた命をあらためて悼みました」と話している。

 (加藤行平)

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